広告という映像媒体

この間、ACCの上映会に行ったり、CMの上映会と言うイベントのインフォを見たりして、思うのだが大きなスクリーンで観客が集まってCMを鑑賞すると言うのは、だいぶ変なシチュエーションだと思う。なぜなら、CMと言うのは、そもそもメインコンテンツの隙間に入ってきて、視聴者の気をひいて商品を宣伝して行くというものだから、それをまじまじと人々が見ているというのは、滑稽な光景と言われれば、滑稽な光景なのだ。だけど、見ていておもしろい。つまりのところ、CMという映像コンテンツが面白いのだと思う。

NIZOO PICTURES -ESFESTインタビュー Part 1:ショートフィルムの生き残る途で、取り上げられているのだが、ショートフィルムとCMの接近と言うのは、とても面白いと思う。この現象には、いくつかの相互関係が絡み合っていると思う。


まず、一つに、「ショートフィルムとインターネット上におけるストリーミング配信」の相性の良さである。ショートフィルム=動画配信と言うぐらい、インターネット上では様々なショートフィルムを見ることができる。当初は、技術的な問題で短い尺の映像しか配信できなったため、尺が短いショートフィルムに白羽の矢が立った。もちろん、課金システムがスムーズに普及していない現状では、長編の商業映画を課金してみせるということも、まだまだ一般的でないため、一本単位で鑑賞料をとることができないショートフィルムに頼るしかないというのもあるのかもしれない。少々乱暴にまとめているが。

二つ目に、ショートフィルムの短さと自由度が、CMの延長線上的な企業コンテンツを組み合わせた場合に、やりやすいというところがあるのだろう。この自由度というところで、個性的な映像作家を起用しやすいし、同時にその個性的な映像作家を起用しているという事実自体が企業のブランドイメージ向上を図ることができている。

最後に、製作費という問題である。ショートフィルムとはいえ、凝れば予算は当然かかってくる。そこにスポンサーに入ってもらえれば、予算的には作りやすくなってくるというメリットがある。また、公開もインターネット上を念頭に置けば、一般の商業映画を公開するのに比べてコストダウンを図ることができるし、ローリスクで攻めることができる。また、ストリーミング配信のインタフェースと企業のWEBを同居させることができるため、宣伝効果を望める。

こういったことが絡み合って、最近の企業付きショートフィルムブームなのではないかと思う。まぁ、デジタル機器の発達と普及とか、そういうのは後付きで考えて良いことだと思う。

ブランデッド・エンターテイメント……つまりスポンサーつきのショートフィルムというのは、今後もどんどん盛り上がっていって欲しいなあとRESFESTとしては思っているんです。だから、今回、ワークショップには、広告代理店の人……電通とか博報堂の人です……も両方きてもらいました。それとTYOフィルムの監督さん、プロデューサーさんですね。それとコマーシャル・フォトの編集部の方と。それと僕も少し登壇してと。

ブランデッド・エンターテイメントか、と思った。なるほどと。ただ、思ったのが現時点では、良いクライアント、つまりイメージ的なものを求めてある程度、クリエイター側に自由度を与えているクライアントが多いのだと思うが、こういった流れがさらに一般的になった場合、クリエイターにとって厳しい場になってくる可能性も否めない。やはり、若手や個性的な映像作家、スタッフの活躍できる魅力ある場であってほしいと思う。

個人的にもそうなのだが、ショートフィルム、インディーズフィルム、ネット配信、ブランデッド・エンターテイメントといったものが、しっかりと住み分けされずに混沌としているのが現在の状況なのでは無いだろうか。住み分けという表現が合っているのかはわからないが、位置関係が把握されずにいると思うのだ。

広告という映像媒体」への2件のフィードバック

  1. リョウタロウ

    なぜ今、ブランデッド ・エンタテイメントという言葉をわざわざ作ったのか。
    それは今のショートフィルムでビジネス的にある程度成り立っているものを見てみると、結局は広告モデルがほとんどなのだという状況だからである。

    それはあまりにも明確なので、確かにNAKED INC.としても二年ほど前からそういった事を周りに言ってきた。
    またCMとは少し違うが、プロモーションビデオとショートフィルムのハイブリッドみたいなモノをNAKED INC.でも製作している。
    そのアプローチには、当然、製作費の問題が大きく関係している。

    しかし、やっておいてナニなのだが、個人的にはそこにかなりひっかかるものがある。
    映像作品全てが広告モデルになっていく事で、作品そのものが付録的になっていくという懸念である。
    作品を観る事自体がタダになる事で、作品の価値というものは観客にとってどうなるのか。

    ふと考えてみると、映画が唯一の作品主義のモデルだったのではないか。
    作品を創って観せる。その対価を観客が払う。そういった構図。

    CMはもちろんの事、テレビも結局は広告モデルだし、PVもとどのつまりは広告モデルである。
    広告というものは、最終的に観客に観せるとはいえBtoBのモデルである。
    そうするとBtoCは映画のビジネスモデルだけなのではないかと思い始める。

    繰り返すが、付録化する事で作品一本の価値を感じてもらえなくなる事は、映画の未来にはあまり良くないなあ、と思うのである。

  2. アラカワケンスケ

    >ふと考えてみると、映画が唯一の作品主義のモデルだったのではないか。
    >作品を創って観せる。その対価を観客が払う。そういった構図。

    という指摘は、支持できます。
    映像と言うのは、非常にプロモーションと言うものと密接に関わっているメディアだと言えると思います。映画が登場した時点で、ルミエール兄弟は観客に対してお金をとって上映すると言うビジネスモデルを映画の誕生と同時に成り立たせていますからね。(この点は他のメディアを用いたアートと比べて非常に面白い点だと思います)

    現在は広告モデルとして、良い形で動いているように見えるのですが、どう転ぶかわからない危険性を抱えていると思います。これは、リョウタロウさんが表現するところの「付録化」も危惧されると思いますし。

    自分は、映像の将来を考える時に、音楽の現在を分析することが多いです。特に、インターネットや最新の技術を用いた面に関しては。そうすると、あまり楽観視できないところが多いように思えます。

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