これまでに、演劇での劇中映像の制作をしたことがあるんですが、VJ LRG: 演劇VJに書いてある演劇VJという言葉に非常に惹かれました。
友人が担当した芝居とか、自分が参加する芝居を見ながら演劇における映像とは何かと考えるのですが、すくなくとも、そこには単なる映像の「再生」ではいけないなと思うんです。なぜならば、再生では、役者がリアルタイムに創り出してくる演技と表現としてのずれが発生してしまうからです。
確かに、役者は、稽古で演出と作り上げた演劇をある意味再生するわけですが、それは単なる再生ではありません。役者同士との呼吸、観客との呼吸により、その場でしかできない演技が生まれていくのです。そういう場において、果たして映像がただの再生で良いのか?と疑問に感じるのです。
では、再生を脱するにはどうしたらいいのか。それは、そう、持論である映像を奏でると言うことです。映像で演技するのです。もう一つ自分の持論にあるのが、映画の撮影に置いて、カメラマンも第3の役者だと思うのです。それぐらい、映像が生き生きしなければならないと思うのです。映画の撮影に関してはちょっと脱線した感がありますが、演劇においての映像は役者との息づかいを感じながら、その場で組み立てていく必要があると思うのです。
そういう意味で、VJというスタイルで映像演出すると言うことは素晴らしいことだと思います。実際のところ、自分もそういうことならば絡んでみたいなと前から考えているんです。やっぱり、ただDVテープを再生するだけでは、おもしろくない。その場だからこそ生まれるものを、そこに出したいなと思うんです。
すごく興味がある話なのでコメントいれます。
そうですよね、私は演劇をやっていたのですが、芝居中で何度か映像を使用しました。
やっぱりなじまないんですよね、こう映像だけ浮いてしまうっていうか、いろいろ工夫もしてみました。
スクリーンを使わず造形物に照明をあてるとか・・
できればVJとかもしたかったですがスキルがたりませんでした。
世の中のPCのスペックがあがって簡単にVJらしきものができるようになりました。
演劇によい映像のありかたがもっともっと模索できればいいですよね
中央の芝居を見ても、映像がとけ込んでいるというのはあんまり多くないような気がします。難しい手法なのかもしれません。
その一方で、ライブパフォーマンス、現代アート、NYのSOHOの演劇などは、結構映像と肉体の動きが融合していると思います。こうなってくると、演出する側が映像とは何か、再生とは何かというのを考えた上での組み合わせを考えないと、一歩先に進めないのではないかと思います。結局、つくる側が演劇と映像というような線引きをしてしまうと、そこで終わってしまうと思います。
造形物に映すというのはおもしろいですね。こちらでは、シャ幕に照らすというスタイルがありました。
そうですね。演出には映像を「映像」としてとらえるのではなく「演出効果」として捉えてもらうのが一番だとおもいますね。
映像って表現をしていると、やはり舞台をぶったぎった表現になりますよね。
近頃参考になるナァと思ったのは、海外の有名アーティストのライブ。
ブリトニーやマドンナレベルになると、映像という表現では収まりきらない感覚がなんともいえません。
ただ、あそこまでやるにはじゃぁいくらかかるんだって話ですけど・・・
ただ、貧しい予算のなかで、映像に対してどれくらいの費用をかけれるかってことです。
それに使用するものがTVなのか液晶なのかPDPなのかプロジェクターなのかってのも選択の余地はありますし。
(おそらく、液晶やPDPは金額的にむりだろうが・・w)
安価で迫力がだせるのは プロジェクターかなぁって思っています。
TVも劇団員のTV全部もってきて 20個ぐらいあれば圧巻ですが、そのためのシステムを組むのに費用は結構かかりますよねw
まぁ資産になるので、投資的な要素でいろいろかっていくのはありかもしれません。
(消えものの舞台装置よりのこるしー)
ちなみに私が思う映像のまっちんぐで最高だなぁっておもえるのがこれです
http://www.marciel.jp/
すごいっすよ
はじめまして。
演劇に映像(VJ)を組み込む活動を実際にしている立場からコメントさせて下さい。
まず、マルシエルは確かに映像演劇の1つの完成形ではあるのですが、あのスタイルには「役者が演じていて全然面白くない」という根本的問題があります。通常、役者は台本を読み、心情を汲み取って演技表現にするのですが、マルシエルのように全編を通してタイミング合わせを強いられると、本来の演技表現はガタガタになってしまいます。マーク・ホランのように作・演出・主演全てを1人でやってしまう人ならともかく、劇団として分業でやるには、難しいスタイルです。
それと、映像を舞台に溶け込ませる、映像と舞台が組み合わさって初めて表現として成立する、そういったものを突き詰めようとすると、どうしても脚本レベルから計算を始める必要が生じます。すると、映像の送出に関しては「段取り」から抜け出しにくくなってしまうというジレンマも生まれてしまいます。
実際、私どもがVJソフトとして使用したのは「FUSE Media Projector」だったのですが、このソフトが持っている「プログラマブルシーケンス機能」があって初めて、操作ミスのない確実なVJプレイが出来るようになりました。演劇において舞台の真ん中に堂々とスクリーンを設置してそれらを組み合わせるとなると、映像に対する観客の注目度がClubのそれとは段違いに上がるため、「送出ミスのないこと」がどうしても第一義になってしまいがちです。
逆に「映像を奏でる」楽しさは、ライブカメラの中継映像などを取り入れ、ネタ映像と共にスイッチャーで組み合わせることで、何か面白い展開になるのかなあと思っています。
たびたびすみません。
よろしければウチにも遊びに来て下さい。。。
>それと、映像を舞台に溶け込ませる、映像と舞台が組み合わさって初めて表現
>として成立する、そういったものを突き詰めようとすると、どうしても脚本レベル
>から計算を始める必要が生じます。すると、映像の送出に関しては「段取り」から
>抜け出しにくくなってしまうというジレンマも生まれてしまいます。
自分は、どちらかというと戯曲レベル、または演出プランの初期の段階で映像の使い方を考えて欲しいなと思います。後付的な映像演出は、浮いている感じを受けることがあります。最近は、オープニングに映像を使う劇団が増えているようですね。先日、地元で阿佐ヶ谷スパイダースが公演したのですが、その際にも、タイポとオープニング映像が最初に流れたようです。
>実際、私どもがVJソフトとして使用したのは「FUSE Media Projector」だったの
>ですが、このソフトが持っている「プログラマブルシーケンス機能」があって初め
>て、操作ミスのない確実なVJプレイが出来るようになりました。演劇において舞
>台の真ん中に堂々とスクリーンを設置してそれらを組み合わせるとなると、映像
>に対する観客の注目度がClubのそれとは段違いに上がるため、「送出ミスのな
>いこと」がどうしても第一義になってしまいがちです。
ミスがないというのはとても求められますね。音響さんと同じぐらいシビアになりますよね。
自分が開発参加しているVJソフトも、こういった機能を持たせています。演劇の他にも、イベント系では必須の機能といえますよね。
>逆に「映像を奏でる」楽しさは、ライブカメラの中継映像などを取り入れ、ネタ映
>像と共にスイッチャーで組み合わせることで、何か面白い展開になるのかなあ
>と思っています。
同感ですね。役者の動きをサンプリングして、そこから新しい映像世界を創り出すとか、ジェネ系のVJソフトを使って、その場でしか生成されない映像を創り出すというのはおもしろいと思います。