もしかしたら、物を所有するということの重要性は、本当に下がっているのかもしれない。

娘が、お片付けが悪いとか、もらったものを大事にしない、物を大事にしないとと叱られているのを聞きながら、果たして、彼女は本当にモノを大事にしていないのか?と疑問に思った。

「物」理的なものへの執着は無いかもしれないが、「モノ」には執着があるのかもしれない。物理的な物を所有することへの意識が低くても、機能性を満たす「モノ」には執着があるのではないか。「物」と「モノ」は共存すべきものであったが、そこには乖離が生まれていて、「モノ」の方に重きが置かれ始めているのではないかと。

例えば、写真。デジカメ、スマフォが登場するまで、写真は、フィルム、印画紙(プリント)がある上で、そこに視覚メディアとしての「情報」が存在して、共存していた。しかしながら、スマフォやPCという、印画紙を代替するような再生機が登場することによって、撮影の時点で、物理メディアと情報は乖離するものになった。細かく言えば、デジカメ時代において、気に入った写真を印刷するという行為は、情報として、つまりデータとして生成された「モノ」は、後から「物」を付け加えて、人為的に「後乗せ」で共存させるものになった。

断捨離のこんまりが、プレゼントは捨てても良い。なぜなら、プレゼントは渡された時点で、思いを伝えるという役割を果たしている。と話していたのを思い出した。人からもらったものを中々処分できずにたまっていく相談者に対して、罪悪感を持たせずに断捨離させる良いアドバイスである。

「物」はすでに、メディア(媒体)化しているのかもしれない。思いを乗せる、機能を実現するものになっているのではないか。

そういう時代、感覚の中に生まれ育つ子供たちは、物の所有感がどんどん薄れているのかもしれない。このことは、廃棄物による環境破壊への対策も考慮に入れて、我々人類が考えるべきことなのではないかと。

物を大事に末永く所有する方向性と機能を手に入れると割り切ってシェアする、サブスク的に物を持つという二方向に、我々はシフトしていくのではないかと。