さすがに、一日中(9〜22)、集中作業は身体に異変をもたらす。
Instagramのリニューアルを担当したイアン・スパルターのドキュメンタリーを見て気になり、彼が出ているPodcastなどを聞く。多分、自分よりちょい上ぐらいで、少年期からアートに、プログラミングが好きで、それが高じてキャリアをスタートさせ、時代の先端を行くデジタルプロダクトデザイナーだ。ドキュメンタリーでやけに、日本の風景が出てくるなと思ったら、Instagramでの成功後、日本にmetaのスタジオを設立するために、日本に移住したらしい。
Podcastを聞きながら、感化される。黒人として、白人が幅をきかせるIT業界で如何に仕事をしていくかとか、どう仕事していくか、キャリアを考えていくか。ここでは、自分の仕事ができないと思ったときに、英断を如何に実行するか。日本は失敗を許さないという文化を変えていくべきだとか。外から見た日本の伝統工芸の素晴らさなど。
彼自身のキャリアについて気になるところだが、ドキュメンタリーで触れられているInstagramのリニューアル作業や日々のUIアップデートの検討過程は、大変参考になる。Instagramのリニューアルの際に、賛否両論を呼んだのがロゴのリニューアルだ。哀愁が漂うレトロなポラロイドカメラのロゴから、ラインだけによるスマートなロゴに切り替えたことで、前ロゴに親しみを持っていたユーザからは反感を買った。悪く言うと無機質なロゴ、よく言えばニュートラルなロゴになることで、レトロおしゃれな写真アプリ(つまり写真好きのニッチなアプリ)から、一般的な「写真と生活を共有するアプリ」に変貌を遂げて、それまでの「写真」ユーザから裾野を広げることに成功する足掛かりとなった。
旧来のユーザからは反感は買ったが、新ロゴは、旧ロゴを否定していなかった。その新ロゴの制作過程がおもしろい。社員等に、それまでのロゴを何も見ないで書かせた。すると、様々なロゴらしきものが生み出される。だが、そこには共通点があった。人々の頭の中のロゴは、まず真ん中にレンズの○があって、外側に箱枠があって、左側に虹色のグラデーションというのが大方の人々が持っていた様々なロゴの共通点だった。彼は、人々に、その人なりのインスタの旧ロゴを描かせることで、旧ロゴの持つ、人々が持つイメージを見つけ出そうとした。彼らはその共通点、つまり印象的な要素だけを残し、新ロゴを作りあげた。そして、この新ロゴとグラデーションをデザインシステムのコアとして、デザインを展開していった。このすっきりとした新ロゴは、より広い人に受け入れられるニュートラルなロゴとして、機能し始めた。
こう書きながら思ったのが、ニュートラルであるという余地が、多くの人に受けいられるための重要なポイントになったということだ。様々な人が、その余地に、自分なりのモノを託せた。余地があるニュートラルなロゴが、なんかカメラ?という認識を生み、そこに自分なりのカメラアプリを使った生活をイメージさせた。
そのニュートラルを生み出す要素は、多くの人の記憶の中に残っていた「ぼんやり」として印象であり、多くの人が持っていた共有記憶(知)だ。そのぼやけた印象にフォーカスしていくと、本質的な要素が見えてくる。白濁した豆乳の中に手を入れて、ゆっくりと掬い上げると、丸々とした柔らかい豆腐が姿を現すように。ぼんやりとした空間から本質的な要素を抽出させるという行為が、様々な人の共通した認識を具現化させた。
プロダクトの良き姿、形というのは、ぼんやりと自分たちの頭の中の記憶につながっているものなのかもしれない。そのぼんやりとしたつながりが、我々に、プロダクトとの良きメンタルモデルを築き上げさせるのかもしれない。この話は、そうそう、ふつう、そうだよね、という認知についての、深沢直人、ジャスパー・モリソンの「ふつう」、「SUPER NORMAL(スーパーノーマル)」につながっている。