建築系のイベントにて、NYのHigh Lineの話を聞く。全然知らなくてとても勉強になった。おそらく、一度、NYに行ったとき、おそらく出来上がっていたと思われるので、行ってこなかったことを後から後悔する。

情報アーキテクトという職名がある。つまり、情報の構造体を建築に見立てて、情報設計などをする人のことを、情報建築家的に呼ぶという、まさしくその職能について指し示しつつ、建築家への羨望を形にしたような職名である。情報設計が、建築設計に近いもしくは、相似的に語ることができるというのは、クリストファー・アレグザンダーの「パターン・ランゲージ」が大きいと思うが、その後の建築と情報の分野の歩み寄りを示唆する黎明なのかもしれない。

現代において、人々は「情報」という衣服を身に纏い世界を闊歩している。自分は、そんなイメージでいる。デジタルツインやミラーワールド的な表現概念もあるが、ミラーと言うことは実像と鏡像が常に対になって相互作用し合う。しかしながら、実世界と情報社会が対になるということは、どちらかに主体があると考えられるべきである。無論、近い将来なのか、遠い将来なのか、その主体が入れ替わるシチュエーションが増えてくる可能性はある。どちらかが主体であると言うことは、その片方が、主体に付いてくる、もしくは追随してくる、影響を受け、象が移り変わっていく。

同じくして、建築も、情報という衣服、皮膚を持ち始めている。建築というと、高尚なモノに見えてくるが、私たちが、普段歩く街の景色の中に、そういった物理的な建物の風景だけではない、情報の風景というモノが溶け込み始めていると言うことだ。

そういったステージになったときに、その建築と情報のランドスケープのデザインを誰がしていくかということになってくる。建築側の人たちが、このことを強く意識していて、提言や問題提起を行っているが、情報、デザインの人たちがこのことを意識して発言しているのをあまり聞かない。AR, VR and MR(つまりxR)で、こんなおもしろいことができます!とは言うが、それがどう社会に実装されていくのかというのを大きな文脈から聞くことがない。

建築というモノを情報が包含していく時代。そこに求められるクリエイティビティーとは、何か。ここにチャンスがあるのかもしれない。