臥薪嘗胆。

今は、それに尽きる。

漢文と言えば、記憶に残る学校の先生に、古文・漢文の先生がいる。人の記憶というのもは、不思議なものだ。意外なものが残る。対して、好きな先生でも無かったのだが。

意外なことが記憶に残っているのに、おかしくもだいぶきちんと記憶に残っていないことがよくある。これは、人間の忘却の素晴らしさがもたらす悪戯というより、その当時、テンパっている、もしくは意識の余裕が無く、記憶のチャンクに、その事柄が入っていかなかったのではないかと思う。

最近、とある出来事を思い出して、失敗とは思わないが、後悔に価する一件だなと悔やまれることがあった。だが、なぜ、自分がその行動を取ったのか、未だに介せない。相当、何かに追われていたのだろう。若気の至りと言っていいことなのか、それ以上のことなのか、または些細なことなのか。