気が付くと9月末の書き込みが最後で、もう3ヶ月も経ってしまった。やはり、習慣を保てないというのは、いけないことである。
旧友と久々に話す。いつも、自分に問いと知見を与えてくれる二人だ。
今回は、悩める自分の話しに終始付き合ってくれた。お陰で、いろいろと道が開けた。今回の一番の収穫は、自分は「ぶぢょうほうまんじゅう」になれば良いである。まぁ、大変唐突な話である。意味がわからん、と思う。
この1年、考え始めていることである。それは、自分にとって東京での戦い、修行は終える時を迎えていて、次のステージだとかフェーズを迎えつつあるという話し。これにつながってくるのが、この「ぶぢょうほうまんじゅう」になる。話しがまとまるか、わからないが、まとめてみようと思う。
だいぶ前に、日本47都道府県の物産展と称して、渋谷に、全国各地の「デザインされた」逸品を集めた展示会が行われた。意図したのか、偶然なのか、その会場に揃った「デザインされた」逸品たちは、みんな白く、明朝体で商品名が書かれ、箱物であれば、エンボス加工でも入っていそうな、みんな同じ顔をした、似たり寄ったりのものたちが顔を揃えていた。でも、彼らは、洗練された、上品なたたずまいを誇り、地方でも、こういうことができるのですと、自慢げだった。
察するに、デザインをしたい東京のデザイナーが地方の助成金なのか、助けを求める声を聞きつけて、「デザインをした」パッケージなのか、それとも、周りの白化粧に憧れた地方のデザイナーが、これが新しい地方のデザインだとか言って、おしろいを見よう見まねで塗ってしまったのだろうか。という、様相だった。
たまに、出張や旅行先で、お土産を求めて、そういったお店に入るのだが、店の一番手前に平積み陳列されている土産物に辟易する。どこに行っても売ってそうな、なんとか饅頭だの、なんだかクッキーだの、もう、イラレで名前を取り替えただけのようなパッケージと、その中身。こちらは、本当に、ご当地臭い、これぞ○○に行ってきた!というものが欲しいのに、と思ってしまう。他ないのかと、あたりを見ると、また白化粧した上品なヤツが、これを買って帰ると、センスが良いと言われますよと、微笑んでいる。最終的に、売店の片隅売られている、昔から売られているが今は片隅の狭い思いをしている方々と出会って、彼らと帰途につくことが多い。
西の方に出張に行くと、自分はよく「赤福」を買って帰ってくる。これは、定番中の定番の土産物だ。しかしながら、パッケージは古くからのもので変わりなく、あぁ、あれね、とわかりやすい。そして、赤福は賞味期限が短い。賞味期限が翌日程度で、固くなってしまう。早めに帰って、人に渡さないといけない。そこに、土産物として貴重性が生まれる。1ヶ月でも持ちますよ、という何だかクッキーとは違う。
自分の中で勝手ながら、地元盛岡からの一番のお土産は「ぶぢょうほうまんじゅう」と決めている。この饅頭は一口サイズのゆべしの中に黒蜜が入ったもので、気を付けて食べないと中から黒蜜が出てきてしまって無作法(ぶぢょほう)になるので、そこから名付けられたらしい。この饅頭は、次の日には固くなるので、当日が賞味期限である。加えて、この「ぶぢょうほうまんじゅう」、早いときでは盛岡は八幡町のお店の開店早々に売れ切れてしまうことがある。敢えて帰りの新幹線を昼前に取り、一度八幡町のお店に朝早くに行って買い求め、その足で東京に戻り、知る人ぞ知るという方に、その日の午後にはお土産で渡す。というお土産にしては、手間の掛かるレアな逸品だ。
味も良いのだが、この「ぶぢょうほうまんじゅう」が良いのが、包装紙である。饅頭自体は、よく惣菜が入っている透明のプラスチックの容器に、そのまま小分け包装もされずに入っていて、それをくるりと紙で包装されている。昔ながらの和菓子屋さんの包装だが、その包装紙が、これまた良い筆書きのグラフィックによるもので、恐らく、だいぶ昔から変わっていない代物だ。作家の高橋克彦氏によるしおりも相まって、なんとも盛岡臭い、パッケージとなっている。この素朴というべきか、盛岡臭いパッケージが、間違いなく、人に渡したときに、あぁ、このひとはどこかに行ってきて、盛岡というところに行ってきたんだというリアリティを伝える。どこでも買ってこれそうな何だかクッキーには無く、白粉クッキーにも無い、価値がそこにある。
こういうことを書くと、おい、盛岡を馬鹿にしているな、田舎扱いするな、この東京に魂を売った者め!とお叱りを受けそうだが、そうでは無いのである。敢えて言えば、東京の人が、盛岡から買おうとする物は、東京の姿をした物ではないのである。「盛岡」そのものなのである。借り物はいらないのである。残念ながら、旅先で「東京」は求めていないのである。その場所のものを求めているのである。だから、その土地の雰囲気を感じさせる物や古くから残る物に、人は惹かれる。その土地の個別のものを求めているのだ。それが土地の「個性」なのだ。
ここまで書いていくと、なぜ、自分は「ぶぢょうほうまんじゅう」にならなければならないという思いに立ったかという話しは、どう結実するのか、落ち着くのか、戸惑いも出てくるが、実は、そういうことなのだ、という良い相似的な話しである。
平たく言うと、自分は田舎者である。田舎の出である。それも、東北の出である。これは、どう否定してもしょうがない。これは、20代の頃にたどり着いたアイデンティティであるが、東京の洗練された何かに憧れ、それも大衆的なものに憧れ、それをどう自分の中に取り込めるか、それを追ったのが30代なのかもしれない。しかしながら、そこに答えもなく、実も無かった。
自分には、不思議な習性がある。地元でとか、東北で、というお話に無性に盛り上がったり、盛岡で、東北でやろうというと、何だか、東京で、というよりも、思考が動きやすい。これは、今でも不思議なのだが、自分は、東京サイズでは無いらしい。盛岡・岩手・東北サイズなのである。これは、論理的に、理性的に考えるのが実に難しい。体がむずくのである。変な話し、DNAというものなのか。
東京で、東京的なことをやったとしても、どうもエンジンが掛からない、それは言い過ぎかもしれない、フルスロットルにならない様な気がするのだ。実際は、どうかわからないが、今、そういう心境に至っている。
よく自分の中で「北の、デザイン」という言葉が沸いては、自分に問いを与え、悩ませることが多い。北だからできるデザインとは何か。
友人に、原風景を持つ人間の強さ、というのを改めて教えられた。これは、自然豊かなところで育った人間にとって劣等感になるかもしれないし、アドバンテージになるかもしれない要素である。北で生まれ育った人間だから知っている原風景がもたらすデザイン、クリエイティブとは何か。それを自分は、改めて考えて、求めなければ、と思ったのだ。それは、東京からの借り物では無いもの。
そういう自分がつくるモノは、借り物では無い「ぶぢょうほうまんじゅう」であるべきだと、お恥ずかしながら、この時分になって、改めて悟ったのだ。東京で、東京的なことをやっても、ただ埋もれるだけであり、自分は永遠に「東京」にはなれない。東京はステージであって、自分の本質では無い。
食べ物のお話をしているところ失礼だが、おまえは「臭いか?」ということでもある。田舎臭いということは良いことである。おまえは、北国臭いか?アラカワ臭いか?その問いかけに、我のワークは答えられているか。そう思うのだ。
もう一つ、友人たち教わったこともあるが、それは長くなるので、明日以降に。
こういうことを考えられると、良い年末と年明けを迎えられそうだ。