夏休み、まぁ、入る前はあれをやって、これをやってと期待を持っていたが、見事に、すべてが裏切られていく。
一冊、本を読み終える。期待はしていなかったが、期待程度の内容だったので、ひどく落ち込むことは無いが、なぜ、そういう内容だったのかと思ってしまう。いや、内容は悪くは無い、構成とストーリーテイリングが悪い。
「入門」と付く本は、確かに、初心者向けに書かれた本ではあるので、平易な表現で専門的なところをかみ砕いて記述することは大事ではあるが、とはいえ、それと下手な親近感を持ち出すのは別なことである。つまり、著者の思い入れやエピソードなどは、あまり入れて欲しくない。それならば、「教科書」面をしないで頂きたい。話しが拡散してしまい申し訳ないというようなのは、紙面でやらなくていい話で、編集者として頂きたい。
「入門」であるからこそ、知識の体系化が重要である。今、ここで、関係が無いような話をしているようだが、これは後々につながっていくエピソードであり、これを今は踏まえて欲しいと言えるぐらいのことを説得できる構成にすべきである。それができないのであれば、「教科書」面をせずに、随筆とすれば良いのである。往々にして、大学教員の書く本に多い。何だろうか、論文執筆の反動なのだろうか。兎に角、あなたの思い入れは要らない。何なら、脚注にでも書いて頂きたい。
夏がやってくると、あまり良い気持ちにはなれない。夏というのは、清々しい青空と共に、同時に終戦というのを抱える季節ではある。夏の入道雲は、果てなき希望を持たせるが、十字架でもある。あの空から、いろんな物が降ってきて、その空の下で様々なことが起きた。
テレビで映画を観ると言うことは、事故的に作品を観ることもある。今のようにオンデマンドで、自分が観たい映画を観るのとは違って、毎週観ている映画の時間帯に流れる作品をたまたま観てしまう、ということがあるのだ。はたまた、深夜に間違って、「2001年宇宙の旅」を観てしまって、洗礼を受けるような。そういう意味では、日本全国の子どもたちが事故だと思っても、観るべきだと思うのが「火垂るの墓」だ。あの映画は、ジブリという、アニメという甘いかぶり物をした、残酷な戦争を語る映画だ。観る者に、かなりの心理的なストレスを与える。だが、どれが戦争だ。あの戦争の酷さを語るに、重要な映画だ。恐らく、この映画を観たーい!と言って、「火垂るの墓」を手に取る人はいないだろう。だからこそ、テレビで、たまたま観てしまった…体験をさせてでも観せた方が良い。トラウマになった方が良い。
しかしながら、「火垂るの墓」が最後に地上波で放送されたのは2018年。3年放送されていない。今年も、放送されていない。脳を麻痺させるようなバラエティを流し続ける方が、事無かれで良いかもしれないが、年に一度、我々は、あれは何だったのかと立ち止まることが必要では無いだろうか。臭い物に蓋をしてはならない。
ならば、家で観ようと思うのだが、大体却下される。冒険活劇を観るのもいいが、ああいう映画を観て、心に痛みを植え付けた方が良い。
数年放送されていないというのも、何だか、戦争の足音が聞こえてきている現れはないだろうかと気になってしょうが無い。