「さ」

アラカワの作品は、「せつなさ」だと言われて、はてと、その言葉が気になっている。

せつなさに近い言葉として、「せつな」という言葉がある。そんなに意味は変わらないだろうと思っていたのだが、その「さ」が付くか付かないかには差があるようだ。iPhoneに入っている大辞林を引くと、

せつな【刹那】
きわめて短い時間。瞬間。念。「━の快楽を求める」「爆発が起こった━」「一弾指の間に六十五の━ありて/正法眼蔵」〔本来、仏教でいう時間の最小単位で、一つの意識の起こる時間。その長さについては諸説がある〕

大辞林

もともとは、仏教用語で、何と時間を現し、瞬間のことを言うのだという。続けて、広辞苑を調べると、

せつな 【刹那】
〔仏〕(梵語 kṣaṇa の音写)きわめて短い時間。一説に、一弾指(指ではじく短い時間)の間に65刹那あるという。一瞬間。

広辞苑

続けて、せつないを調べる。

せつ‐な・い 【切ない】
〘形〙せつな・し(ク)
圧迫されて苦しい。胸がしめつけられる思いでつらい。浄瑠璃、大磯虎稚物語「―・き恋は持ちたれど」。「―・い思い」

なるほど。刹那とは違うのか。

これらに近い意味の言葉として、「はかない」を引いてみると、

はか‐な・い 【果無い・果敢無い・儚い】
〘形〙はかな・し(ク)
(「はか」は、仕上げようと予定した作業の進み具合。それが手に入らない、所期の結実がない意)
①これといった内容がない。とりとめがない。源氏物語(帚木)「―・きあだ事をもまことの大事をも」。源氏物語(賢木)「内わたりを見給ふにつけても、世のありさまあはれに―・く、移り変はる事のみ多かり」
②頼りにならない。手ごたえがない。確かでない。古今和歌集(恋)「行く水に数かくよりも―・きは思はぬ人をおもふなりけり」。源氏物語(若紫)「いと―・うものし給ふこそあはれにうしろめたけれ」。「―・い夢をいだく」
③動き・程度などがわずかである。些細である。源氏物語(若紫)「弁の君、扇―・う打ち鳴らして」「夜昼恋ひきこえたまふに―・きものもきこしめさず」
④あっけない。あっけなくむなしい。特に、人の死についていう。和泉式部日記「夢よりも―・き世の中を嘆きわびつつ」。源氏物語(夕顔)「あはれと思ひし人の―・きさまになりにたるを」。「―・く散る」「―・い一生」

広辞苑

なるほど…近いようで、遠い。勝手な思い込みのニュアンスとしては、「せつなさ」なのか。もう少し、掘り下げてみよう。

文学ロック

「せつなさ」を引きずっている。

そんな中、こういう記事を読む。スーパーカーのファーストアルバム「スリーアウトチェンジ」が日本のロックにどう影響を与えたとかという、少々乱暴ではあるが、今に当たる系譜(遺伝子)を書きなぞったものだ。まぁ、言われれば確かにそうかもと思いつつ、この記事に合わせてつくられたSpotifyのプレイリストを聞きながら、懐かしく思う。スネオヘアーとか、だいぶ忘れていた…とか思いつつ。

ポイントは、シューゲイザー的なギターサウンドがという通奏低音を持ちつつも、あえて、それに触れずに、脈々と流れる系譜をどう捉えるかという、ことらしい。個人的には、実のところ、提示されているバンド、楽曲は、その流れでは、あまりつながっておらず、そこは、むしろ、文学ロックという系譜を持ってきた方が良いのだと思う。

と、思うのだ。

伊東豊雄さんの著書を2冊、ランダムに読む。あぁ、何で、この本を早く読まなかっただろうと後悔する。その他の著書も、と青土社のサイトを見ると、大量の著書が。あんぐりだ。こういうときに思う。死にたくないと。

希望

Claude Codeに並列処理をさせつつ、ここまで考えてくれるのねと、自分が考え及びもしなかった実装計画・設計を出してくるのチェックしながら、これは、この波に乗るしか無いと思った。

昔から、技術的な大局は理解できるが、そこから深く掘り下げて職人的な超絶技巧を身につけて、実装するというのは、大の得意では無い。できないことは無いが、やはり天才には見劣りするし、時間も掛かる。同時に、他にもやりたいこともあるので、そこどれぐらいベットできるか、悩ましくも思う。悪く言えば、中途半端ではある。

だが、AIを使えば、そういう細かいところはやってくれるので、後は、自分は、ディレクションして、確認し、組み合わせていけば、なんとかできるのでは無いかと、希望が持てる。

AIの登場で、希望というよりは、仕事が奪われるという恐れの方が世を包み込んでいる印象もある(現段階では、AIに何が結局できるんだという嘲笑の雰囲気もある)。しかしながら、このAIエージェントたちは、より少ないコストでエンジニアチームを編成し、プロジェクトに取り組んでいける姿を描かせる力を持っている。これならば、いろいろと予算規模が小さくなる地方での起業でも、やっていけるのではないだろうか、という望みだ。

確かに、何でもAI、そしてそれを開発する外国・起業に頼るのは危険ではないかという不安もある。それが無くなってしまったときに、立ち行かなくなるではないかという不安がある。しかしながら、このような構図は、今までにもあったわけで、我々はすでに、様々なソフトウェア、ハードウェアを外国資本に頼り、残念ながら自国の内製のものなどには選択肢を持てない状況にあると考えると、躊躇してそれを選択しないよりは、実現するべきものをめざして、それを使いこなした方が、目指すべきものを実現するという目標のためには有益だと言える。

そんなに、自分は実は技量が無いよと言う自嘲が、もしかしたら、次のステージを開くのかもしれない。

本音

あるご当地的な食べ物を手に入れに、とあるショップに出かける。いくつか、メーカーや大きさなどにレパートリーがあり、どれにしようか悩む。きっと、実はこのお店の方が上手いとか、地元の人ならばこれを選ぶ、とかあるんだろうなぁとおもいつつ、その場で検索してみるが、的を得ない。目利きの力も無いので、情報的には、どれもフラットに見えてしまう。パッケージによる誘引力が無いというよりは、ここで下手に着飾っているものの方が逆に怪しいという怪訝な精神が働いてしまい、残念ながら鼻がきかない。

意を決して、店員さんに声を掛ける。何かお薦めってありますか…。自治体がやっているアンテナショップだけあって、店員さんも、ここのが旨いですよ!とは言い難いのだろう、はっきりとはこれ、とは勧めない。そうなんですかー、としばらく話していると、まぁそのぉ、この二つのお店が、古くからありまして…こちらの方が老舗ですね…という話しを小声でしてくれた。やっぱり、そういうのあるんだぁと。量も多く見栄え良い商品は、どうも専門のメーカーでは無く手広くやっている会社の商品らしい。多分、地元民はあまり買わない類いものなのだろう。

店員さんのお薦めの方を買い、家に持ち帰ると、これまでのとは味が違うと好評。

本音を聞き出し、価値のある情報を引き出すというのは、なかなか難しい。しかしながら、情報というのは本来、そうであって、簡単に手に入るものではないのだろう。情報の質というか。我々が、SNSで普段触れている情報の質はどうなのだろうかと、考える。

ノキノキ

マンションの窓からノキノキと伸びるビルを見ながら、人はどこまで高いビルをつくるのだろうかと思ってしまう。その先のエリアにも、日本一高いビルができあがる予定だ。

日本の人口は減少し、高齢化社会が進み働き世代が減少する中で、そんなにオフィススペースが必要なのだろうか。こんなに大きなビルをつくり人を集め、あえて負荷を高めて、有事の時は大丈夫なのだろうか。と考えてしまう。

中津川沿いに建ってしまうマンションで揺れる盛岡。その他にも、どんどん建つ、盛岡では比較的高層のマンションたち。だけども、背の高いマンションやビルが必要とは思わない人たちが多い街でもある。

大きな、背の高いビルを建てなければ、商売にはならないという世界が間違いなくある。そこにオフィスを構えることがステータスである。つまり、必要では無いけど、それを得ることが目標であり、格につながるという世界がある。どうも、そういう世界に、結局のところ馴染めずにいる。東京に住んでしまっている。

盛岡や地方に住み続けるという選択は、他の人はできているのに、自分はできていないという劣等感が少なからずある。結局のところ、自分には、盛岡に移り住んでも、生きる糧が無いだろうという、希望が持てないところにある。(希望が無いというより選択が無いだろうという想像)

変な話し、大きな、背の高いビルを建てるという世界とは別な世界で生きるということを選択するということはどういうことなのか。それを無視して生きるということにはいかない世界では生きているのだが。なぜなら、向こうの世界が「支配」をしているわけで、それに無関心で生き続けるというわけにはいかない構造の世界に生きていることも認めざるを得ない。というよりは、その「支配」の恩恵を我々はグローバルな資本主義経済の中で甘んじて受けている。

知人と話していて、趣味の話になる。夜10時ぐらいの自分一人で楽しむ孤高の時間の話しというものだろうか。はて、自分、そういうのが無いなと思って、何だか、つまらない日々を過ごしていないだろうか、と思ってしまった。そのハッとした心持ちで、窓からの景色を見たときに、あれは何なんだと思ってしまった。

一つ言えることは、思いの外、自分は自由に生きていないということかもしれない。

今日は、朝からひどいほど暑い。朝に図書館に行くという選択したのは自分ではあるが、ここまで暑いとは。オフィスに着くまでに、HPは底を尽きそうだ。今夏、乗り切れるのだろうか。

それにしても、年々厳しくなる、この暑さ。本当に、どうなるのだろうという不安が襲ってくる。子どもたちが大人になる頃、どうなるんだろうと思いつつ。この暑さをまずは凌ぐためにとエアコンを強める。果たし、それは良いのかと思いつつ、取り返しのきかないタイムラインの中を我々は流れるだけなのだろうか。

収穫

友人のたくちゃんのイベントで、東久留米にトウモロコシの収穫イベントに行ってくる。

トウモロコシ、枝豆、人参を収穫させてもらう。コエドビールを石窯焼きピザと新鮮な野菜を肴にたらふく飲む。

道中、夏の住宅街の路地が懐かしくも輝いていた。特に、大した景色では無いのだが、盛岡のような、青山のような、西青山なのか、中堤なのか、そんなことを思い出させてくれる。

華と艶

今日は、娘の部活からの紹介で、上野耕平のコンサートに行く。

娘から、部活の先輩たちとコンサートに行きたいと話されて、何でもクラシック界のアイドルで、広瀬すずの男版がソリストで出るらしい…とのこと、誰だ?と思いつつ、んまぁ、音楽の勉強にもなるから良いんじゃないと。何でも、中学校から放課後、直接行くが、会場まで帰り迎えに来て欲しいとのこと、まぁまぁ良いかなと。ところで、その人は何て言う名前のなの?と聞くと、上野…耕平と!何ですと!私も行くー!と付いて行った。

久々に、スターを見たという印象だった。華があるというか、艶があるというか。それまで、眠たい音を奏でていたようなオケも、目が覚まされたのか、軽やかに彩りを持ったように感じされる。ここまで、音楽を楽しいように弾くクラッシックの演奏者もいるのかと思わせる。真っ赤なサックスのストラップが憎らしい。