自分の部屋にLANを組んだ。
別に、ネットワーク実験をするわけじゃないです。
ビデオ編集の効率化を図るため。

最近の僕の編集に欠かせないのが、
撮影した映像をフィルムぽっくする処理。
ところが、これがものすごく時間がかかる。
my IDの時は、作業時間の半分近くがこの処理の
レンタリングに費やされた。
もちろん、僕はMacを一台しか持っていなかったから、
一旦、レンタリングの命令を出すと、
他の作業を出来なくなってしまうから、睡眠をとるか、
ご飯を食べるか、だらけるか、雑誌を読む、
になってしまい、効率が悪い。

が、2台目のPowerBookを手に入れたので、
こいつをつかわないと損。
設定は、前から使っているMacで行い、
レンタリングの処理はPowerBookにやらせることにした。
場合によっては、2台ともレンタリング処理を行うこともできる。
そのためのファイルのやりとりに、LANを組んだのだ。

これは、そのうち、mac,linuxにまとめようかな。

課題作品の撮影を屋外でやった。

深い雪の中に入って撮影しなければならないカットもあって、
靴も靴下もびしょぬれ。寒いのって、なんのって。

モデルは、演出もする奴だから、
最後の方はお互いに意見を出し合う感じで撮影した。
予想外におもしろかった。
また、こういう企画をやってみたいなと思うぐらいだった。
ブチの方で、もしかしたら映像のリミックスをするかもしれない。
おもろいかも。
恐らく、アラカワ版とブチ版では、相当違うと思うけど。

不覚にも、ガス欠に。
前から話には聞いていたけど、
マジでディーゼルは、
石油で動いた。
少々暴れ気味だったけど、まずまず走る。
災害地や戦場は、ディーゼル車に限るかも。

関連性、相互関係、社会的評価、群像劇。
その共通点は何か?

研究(論文)、作品がつくり出す相互関係。

それらが全てを語る。テーマを。

断片では理解できないもの。
それは自分であり、他人であり、世界であり、宇宙であり、
無である。

全体。

遠くから見る。

地上絵。

地上絵の集合体。

糸。

糸には、なんら意味が無い。

糸で結ばれたものに意味がある。
いや、つながれていることに意味がある。
ならば、それ自体には価値は?意味は?

それは、自分の価値を問いかけること。

価値、評価。

評価、比較。

友人の丸山安曇の初個展に行って来た。
初日は、夜からオープニングパーティーも催された。

彼は、何て言っても、ポートレイトがうまい。
被写体の表情をとらえるのがうまい。
その人が輝いている一瞬と言うのかな。
その瞬間をフィルムに収めるのがうまい。
映像と違って、写真と言うのは、
その一瞬を逃すのを許されない。
映像は、その一瞬の連続を捉えるものであって、
難しく言えばその一瞬の連続という変化を捉えるもの。
つまり、冗長がある程度許される。

この個展では、丸山は、
映像にも取り組んだ。
彼にとっては、初の映像作品。
ほぼ無声映画と言っても良いサイレントなクリップ。
まぁ、作品としては、初と言うこともあるからか、
次回を期待と言う感じ。
本音を言うと、これを負けたら、
俺はまずいからね。

彼のセルフポートレイトもそうだが、
彼は彼の固有の雰囲気、つまり存在を持っている。
それは、役者という形でも発揮されている。
今後の彼の丸山安曇ぶりに期待!

会場で、ちらほらと荒川は個展をやらないの?と言われた。
いえいえ、僕は作品を作らないといけませんから。

雪がひどくなってきた。
ようやく広い通りは、雪(氷)が解けてきて、
いつも通りスピードが出せるようになったと思ったのに。

帰ってきたら、うちの学長の西沢先生が、
NHKのテレビに出ていた。
なんでも、21世紀の教育とは何かというのを、
海外の事例を取り上げつつ、先生が各著名人と対談して、
その答え、ヒントを求めていくという内容だった。
僕自身は、西沢先生は、やはりすごい方だと思う。
僕もそうだし、他にも先生に惹かれて
この大学に入ってきた学生も多くいる。
だけど、そのほとんどが、
この大学の現状に嘆いているのではないだろうか。

先日、機会があって、
意見を持っている学生と話をしたんだけど、
やっぱり他の学部の学生たちも、
教育システムや学生に対するサービスの面で、
不満を持っているようだ。

少なくとも、西沢先生が説くような
教育を実践している教員は少ない。
僕自身、きちんと単位をとっている部類の学生ではないので、
大きい声では言えないが、
教員の方が、きちんと準備してきて、
さぁ君たちやるぞ!と講義に挑まれると、
僕ら学生は自然に、その講義に積極的に取り組んでしまう。
いや、逃れられないのだ。
向こうが真剣に取り組んでくると、
こっちが逃げるという余裕が無くなるのだ。
そこから、西沢先生が説くような講義が始まるのだと思う。
それさえもできない教員が、なんと多いことか。
僕は、すでにその理由で、ある講義を受けるのをやめた。
来年度、別な先生の時に受ける予定。

教員だけではない、事務型の人間も然りだ。
大学全体が、人を育ているという行為に取り組んでいない。
これは、明白な事実だ。
多くの制限を付けた施設で、一体、
どんな新しい創造物が出来るだろうか?

来年度で、学部生は、4年生まで揃うことになる。
もう一度、見直すべきだ。
僕が前から言っているように、
それが少なくとも、岩手の存亡に関わることであるし、
大きく見れば日本の存亡に関わることである。
はっきり言おう、世界の人々は、
それを口うるさく言うような余裕はない。

大学の講義のメディア論で、
ほぼ自由課題に近いような課題が出た。
映像も良いよと言うことなので、
試験が終わったら、実験小作品を作ろうかなと思っている。
僕としては、今自分が持っているタイポとか、
撮影スタイルとかを出して、
本当、実験的な物を作ってみようかなと。

そう言えば、カウンタ嵐はおさまった。

椎名林檎の臨時ニウスを読んだ。
率直に言って、やっぱ違うなと思った。

ついでに思ったんだけど、
椎名林檎は、ホームページにコメントを書いただけで、
スポーツ紙の一面を取ったわけだ。
と言っても、彼女にはそれはあまり価値がないことかもしれないけど、
芸能人の芸の価値というのが、そこにあるのかも。

最近、記者会見を開かずに、
WEB上に自分のコメントを書いたりする人が多くなってきた。
WEBを使えない人は、FAXとか。
世の中、記者会見を開いて、騒いで、
何とか人気を保っている芸能人が多い世の中で、
本当に逆を行っている。
だが、記者会見を開いたり、
WEB上に書いて騒がれるのは、
いわゆるプライベートなことである。
そう言ったたぐいのことをWEBに書いてあっさりと、
済ますことが出来るのは、本業の質が高い人なんだろうなって思う。
椎名林檎がワイドショーに出てきて、
子作りしましたなんて言ったら、興ざめするからね。
それが、どうしようもないバラエティーに出ている芸能人とか、
テレビショッピングに出ている芸能人が、
テレビに出てきて、ええ、子供が産まれましたというのは、
何とも、自然なことか。
この関係性は、おもしろいと思った。