荒れに荒れております。

新しい検索エンジンを見つけると、
自分の名前を入れたくなる、変な癖。
今日、新しい検索エンジンに行って、
それをやってみたら、何と、
荒川健介という役者がいるらしい。
マジ?
でも、まだ売れていないらしい。

センター試験のみなさん、お疲れさまでした。
また、明日から学校かぁ。

今年は、本当に寒い。
雪が全然とけないですから。
いやー、映画の撮影が楽しみ。
雪のシーンが…

PowerBookにMacOS X PublicBateを入れた。
このOSは、恐らくすごいと思う。
後は、ユーザインタフェースの細かい改良と
Carbon対応のソフトが増えれば文句無しですね。

WEBデザイナーの立場から言うと、
一つのマシンの中で、DreamweaverとApache(on UNIX)を動かせると言うのが
魅力的。
なぜかというと、CGIなどの動作を見ながらデザインできるわけですよ。
これは、すごいことになると思う。
今のところだと、自宅にダミーサーバを立てなくちゃいけないので、
大変なのよね。

加えて、きちんと書かれたソフトなら落ちにくい。
よって、運用性が高いVJソフトも作れちゃう。
実は、Classic環境でMacのプログラミングを覚えようかと思ったけど、
やめて、Carbon環境から始める予定。
そうなると、新しい表現ができるVJソフトがお見みえするかも。

Macの世界では、新製品が出て、いろいろ騒がしい。

今回の新製品の発表の中で、
僕ら映像を作る人間が目を引いたのが、
SuperDriveという代物。
こいつは、なにができるかというとDVDを自分で作れちゃうのだ。
もちろん、ほんちゃんを作れるのではなく、CD-Rみたいな
DVD-Rを用いて作れるのだが、
自分の映画を配るという行為が手軽になる。
さすがに、毎日サンプルのVHSテープを持ち歩けないが、
DVDだったら持ち歩ける。
もちろん、DV編集の作品だったら、画質も落ちないし。

と言っても、要は内容勝負。
そこに何が入っているかなのですが。

もう、1月も中旬に…ショック!
という感じであります。

あっという間に1週間が過ぎました。
あっという間に…

明日から岩大劇団かっぱの公演が、
プラザおでってで始まる。
僕は、日曜日に見に行く予定。
知合いの団員からチケットをもらったんだけど、
まだ連絡がとれずに。
もう一度、連絡してみよう。

僕は今日の成人式には、出席しなかった。親の反対もなかった。
その理由は、なんでまた全校集会に行かなくちゃいけないの。
それが単なる理由だ。

今、「学級崩壊」という言葉を良く耳にする。
身近なところでも、臨時採用の講師をやった友人が、
勤務先の学校での苦労を漏らしていた。

でも、そんな言葉とか状況を聞いても、
最近はあまり驚かない。
僕が中学生だった頃は、その学級崩壊の先駆けというか、
まだ、エネルギーを外に出して、先生たちと向き合うタイプの
問題クラスの生徒だったからだ。
むろん、僕もそのクラスを構成していた一人だと思うが。

中学の頃から、自分が通う中学の教育方針の限界を感じていた。
それは、今となって考えてみれば、
自分が通う中学だけのことではなくて、
日本の教育システムの限界だったのだが、
中学の、つまりその渦中にいる生徒も、
危機感を感じていたのだ。
全校集会、がんじがらめの文化祭、全校合唱という
旧型のシンボルの下に生徒は統制できなくなっていった。
それが、僕が中学生だった頃の中学校だったと思う。
各個人の価値の多様化、各家庭の仕付けのレベル低下、
教師の指導能力の格差。
これらの現状に、この間まで機能していたシンボルたちは、
太刀打ちできなくなりつつあった。

先日、仲の良かった中学の同級生だけで集まったとき、
一人が自分に学年生徒会を一緒にやっていた頃の話をしてきた。
僕は、ただ先生たちの指示を受け手動くだけの
自治システムに見切りをつけて、辞任を申し入れたことがあった。
それは、涙の抗議だった。必死にくい止める教員に僕は、
自分の意志をぶつけた。
そんな記憶が蘇る寸前のところで、「その話はやめよう」と言った。

成人式というシンボル。
まるで、全校集会の再現。
そこに、何の意味があって、
そこに僕ら、自治体の長たち、自分を「大人」と呼び人々は、
何を求めているのだろうか。
毎年、酷評される成人式のニュースを見ながら、
僕は空虚をそこに持つようになっていった。
考えてみれば、成人式ぐらいではないだろうか。
自治体が人を集めて、お祝いする人の節目というのは。

そろそろ、別なシンボルを探してもいいと思う。
むしろ、そのようなシンボルは必要なのだろうか。

答えは、既に出ている。
大学は、成人式の翌日から始まる。それも、一限目から。
むろん、成人式の出席者に公欠は与えられない。

-edなことの感想が来て、嬉しい。

三が日から仕事をしてる。と、某研究室の助手に言われた。
別に良いじゃない。

IAMASのPubllic Domainというネットワークサービスを
利用し始めた。
昔のパソコン通信みたいな感じ。
Kaliumでも何かコミュニケーションの場を作りたいよな。
メーリングリストでも作ってみようか。
といっても、参加者がいなかったら始まらないんだけど。

冬休みを問わず、長期休業の怖いところは、
朝昼が逆転して夜型になることである。その傾向が出つつある。
今日は、たっぷり酒でも飲んで寝ようかな。

ここ数日間、居間のテレビは付きっぱなし。
よくもまぁ、こんなにというぐらい正月スペシャルがある。
一体、年末のテレビ局ってどうなっているんだろうと、
思うぐらい。
でも、僕の目が奪われたのは、おせち料理のように、
いたずらに豪勢なテレビ番組たちではない。
地元のデザイン会社たちのテレビCMたち。

この時期、ほんとにそんな金あるの?
と首を傾げちゃうような会社まで、
環境映像の上にタイポを載せた、どうしようもないテレビCMを
放映している。まぁ、つき合いとか、見栄だとか、プライドだとかが
そうさせるのだろうけど。

で、いつもはあまり名前を見かけない地元のデザイン会社や印刷会社も
テレビCMを流す。
ところが、そのCMが悲惨なこと。
いまのところ、レベルの高いCMにお目にかかっていない。
これは、まずいでしょ?

何で、地方のCMはレベルが低いの?と聞くと、
それはね、予算が少ないから、あまり凝ることができないんだよとか、
クライアントが新しいセンスを受け付けないとかと答える。

デザイン会社のCMって、
クライアントはその会社で、作っているのもその会社のはず。
まぁ、どこかに発注していたとしても、
少なくともデザイン会社の看板でしょ。
それが、あれじゃ、
少なくとも、自分はこれしか作れません!と言ってるようにしか
見えない。
少なくとも、学生が作るような映像はまずいでしょ。

つまりね、ここ言うのを平然と流していると言うことは、
あまり実力がないんじゃないと僕は判断したくなる。
だけど、こんな言い訳もあるのかな。
「あまり、斬新なCMを作るとクライアントが理解してくれなくて、
仕事が来なくなる。」
そんなこと言われたときには、どう対処したらいいのだろうか。
返答に詰まるね。

岩手発!地方発!という言葉を、物作りの人間は好きだけど、
それはね、地方発世界レベルという言葉の同等にしなくちゃいけない。
簡単な広告なんかをネットを介して、九州のデザイン会社に発注する
というような世の中は、そこまで来ている。
いや、もう始まっているかもしれない。
もっとかっこよく使おう!Made in Iwate, Japanを。