怒濤の毎日が過ぎている感じです。
最近、ずーと書いていなかったので、これまでの活動をメモ程度にまとめてみます。あとで、他のページにまとめる予定なので。
9日、東京最後の日、赤井さんと会った。
赤井さんは、my IDに出ているモデルで、現在は東京で役者として活動している。Vシネマとかに出ているらしい。作品名は「天牌」。
彼は、夢を持って、大きな東京、業界で、挑戦していた。赤井さんが、しゃべる言葉の一つ一つに、そうかぁ、と思わせるところがある。
赤井さんが初めて、僕が出会ったクリエイター的な役者だった。話していて、まるで映像をやっている人と話しているのかと思うぐらい、いろいろ作品、演技について考えている人。
んまてよ、それは、書いたか。記憶があいまい。
今、文庫本を3冊ほど、行ったり来たりしながら、読んでいる。同時に3冊読んでいるのは、初めてだ。その中の一冊が、借りている田口ランディの「コンセント」。この作品も、身近な人の死が題材になっている。「も」と書いたのは、映画「ルームメイト」もそうだからだ。
「ルームメイト」は、僕の祖母の死から生まれた作品だ。Three Dragon’s Liveの打ち上げで、作品の話になったとき、お前は本当に肉親が死んだことがあるか、亡骸を目の当たりにしたことがあるか?と強い口調で聞かれた。無論、飲みの席だ。気のすることではないが。僕は、単純に悔しかった。
僕は、あの日の光景を忘れてはいない。学校から帰ると、家の前に黒と白の垂れ幕が下がっている。家の玄関から舗装された道路までは、細い砂利道が30mほど続くのだが、その道は、なんとも嫌な道に思えた。こう書いている今でも、感情が揺れる。
僕は、その話を人目をはばからずに、泣きながらしゃべった。いや、叫んでいたかも知れない。僕は、言いたかった。俺は、そんな上面で映画を撮っているんじゃないって。いや、映画じゃない、物語を。否定されることもあるかも知れないけど、僕は、真摯につくっている。
だから、映画祭やテープを観て、泣いたとか、良かったと言ってくれる人に会うと、本当に嬉しい。
今日、立原道造の「盛岡ノート」のリーディングを観てきた。
良かった。率直に思ったのが、こういう作品を作っても良いんだということだった。彼の感情が凝縮されている言葉だった。最近、僕が使う表現でいうと「吠えている」作品だった。己の感情をストレートに出している作品だった。でも、ただのストレートじゃない。感情の描写、風景の描写、巧みである。とても、色彩感覚溢れる文章表現。やられた、そんな言葉が、その詩集をイメージする僕の頭の中に浮かんだ。
12日のRIZM NIGHTは、約50人のお客さんに集まっていただいた。当日まで、徹夜で作品作りをしていた僕はクラクラ。でもね、一番デザインが良いと思う。近日中に、WEBにもそのパッケージを載せる予定だけど。いい感じですよ。現在、残り2本が、RIZMで引き続き販売されています。ルームメイト1本、ビデオクリップが一本。
RIZM NIGHTでの自作品の上映中、特に「ルームメイト」の上映中は、痛かった。観ていると、こうしたい、ああしたいとか、いろいろ頭がよぎる。観るたびに、どんどん自分の中でダメだしが出てくる。仲間の中には、公の場で上映するのは新作でという人もいる。でも、僕はいろんな人に見てもらうためにも、繰り返し上映したい。もちろん、僕もできるならば同席して。人前でみせるという行為で、学ぶことが多い。上映中の己の心の動き、改めて作品を観ての感想、人々の反応。
現在、上映できそうな場所を募集中。テープも、そろそろ限定ではあるが、大量に作る予定。一本一本手作りで。
昨日からクリカフェの準備に追われている。12日にようやくお店が決まり、なんとか、開催できることに。それまで、宣伝は、周りにだけだったから、あわててフライヤーにWEBにと、情宣グッズづくり。
今夜は、知り合いの人にメールをがぁーと送って、効果がありそうな掲示板20枚ぐらいに書き込み。意外と時間がかかるし、疲れる。
明日も、大通り付近でフライヤー配布。
さて、今夏、どんな物語を紡ごうか。
頭の中で911のことが離れない。今になって、いろいろ考えている。
でも、テレビでは、宗男。
イスラエルとか、どうするの本当に。