「六道回廊狐戯」を観てくる。

圧倒された。まず、入ってすぐに、セットがすごいのに、ワクワク。芝居が終わった後に、思わず解体中のセットを観させてもらったぐらい。

本がすごいんだろうな。シュールだね、本当に。僕はああいうシュールは、書けないけど、好き。モンティーパイソンとか好き。
演出もすごいし、役者もすごかったと思うし、音響も良かったと思うし、衣装も良かったと思うし、チラシも好きだったし、なんだろう、久しぶりに演劇を観た!という感じ。再演してもらって、いろんな人に観て欲しい。

巫女役の藤井優子さんの色気にやられっぱなし。うまいよなぁ、と思いつつ。偶然隣の席になった、映画祭のサポスタの人が「惚れちゃいます。もう、目線が…ねぇ?」僕「以下、同文です」ってな感じで。それから、東さんの座頭ぶりもよかったぁ。あの目の演技。たまらない。声が良いし。脇を固める他の役者の演技もgood.本当に、良い芝居を観た。今週は、ステージ当たり週間。

怒濤の毎日が過ぎている感じです。

最近、ずーと書いていなかったので、これまでの活動をメモ程度にまとめてみます。あとで、他のページにまとめる予定なので。

9日、東京最後の日、赤井さんと会った。
赤井さんは、my IDに出ているモデルで、現在は東京で役者として活動している。Vシネマとかに出ているらしい。作品名は「天牌」。
彼は、夢を持って、大きな東京、業界で、挑戦していた。赤井さんが、しゃべる言葉の一つ一つに、そうかぁ、と思わせるところがある。

赤井さんが初めて、僕が出会ったクリエイター的な役者だった。話していて、まるで映像をやっている人と話しているのかと思うぐらい、いろいろ作品、演技について考えている人。

んまてよ、それは、書いたか。記憶があいまい。

今、文庫本を3冊ほど、行ったり来たりしながら、読んでいる。同時に3冊読んでいるのは、初めてだ。その中の一冊が、借りている田口ランディの「コンセント」。この作品も、身近な人の死が題材になっている。「も」と書いたのは、映画「ルームメイト」もそうだからだ。

「ルームメイト」は、僕の祖母の死から生まれた作品だ。Three Dragon’s Liveの打ち上げで、作品の話になったとき、お前は本当に肉親が死んだことがあるか、亡骸を目の当たりにしたことがあるか?と強い口調で聞かれた。無論、飲みの席だ。気のすることではないが。僕は、単純に悔しかった。

僕は、あの日の光景を忘れてはいない。学校から帰ると、家の前に黒と白の垂れ幕が下がっている。家の玄関から舗装された道路までは、細い砂利道が30mほど続くのだが、その道は、なんとも嫌な道に思えた。こう書いている今でも、感情が揺れる。

僕は、その話を人目をはばからずに、泣きながらしゃべった。いや、叫んでいたかも知れない。僕は、言いたかった。俺は、そんな上面で映画を撮っているんじゃないって。いや、映画じゃない、物語を。否定されることもあるかも知れないけど、僕は、真摯につくっている。

だから、映画祭やテープを観て、泣いたとか、良かったと言ってくれる人に会うと、本当に嬉しい。

今日、立原道造の「盛岡ノート」のリーディングを観てきた。
良かった。率直に思ったのが、こういう作品を作っても良いんだということだった。彼の感情が凝縮されている言葉だった。最近、僕が使う表現でいうと「吠えている」作品だった。己の感情をストレートに出している作品だった。でも、ただのストレートじゃない。感情の描写、風景の描写、巧みである。とても、色彩感覚溢れる文章表現。やられた、そんな言葉が、その詩集をイメージする僕の頭の中に浮かんだ。

12日のRIZM NIGHTは、約50人のお客さんに集まっていただいた。当日まで、徹夜で作品作りをしていた僕はクラクラ。でもね、一番デザインが良いと思う。近日中に、WEBにもそのパッケージを載せる予定だけど。いい感じですよ。現在、残り2本が、RIZMで引き続き販売されています。ルームメイト1本、ビデオクリップが一本。

RIZM NIGHTでの自作品の上映中、特に「ルームメイト」の上映中は、痛かった。観ていると、こうしたい、ああしたいとか、いろいろ頭がよぎる。観るたびに、どんどん自分の中でダメだしが出てくる。仲間の中には、公の場で上映するのは新作でという人もいる。でも、僕はいろんな人に見てもらうためにも、繰り返し上映したい。もちろん、僕もできるならば同席して。人前でみせるという行為で、学ぶことが多い。上映中の己の心の動き、改めて作品を観ての感想、人々の反応。

現在、上映できそうな場所を募集中。テープも、そろそろ限定ではあるが、大量に作る予定。一本一本手作りで。

昨日からクリカフェの準備に追われている。12日にようやくお店が決まり、なんとか、開催できることに。それまで、宣伝は、周りにだけだったから、あわててフライヤーにWEBにと、情宣グッズづくり。

今夜は、知り合いの人にメールをがぁーと送って、効果がありそうな掲示板20枚ぐらいに書き込み。意外と時間がかかるし、疲れる。
明日も、大通り付近でフライヤー配布。

さて、今夏、どんな物語を紡ごうか。

頭の中で911のことが離れない。今になって、いろいろ考えている。

でも、テレビでは、宗男。
イスラエルとか、どうするの本当に。

東京から帰る。両手に荷物なので、疲れたぁ。

着いた早々、マックで晩飯をとった後、
Three Doragon’s Liveへ。
今回で、ゴージャス☆は解散。ということもあり、駆けつけたわけですよ。
ちょうど、僕が着いたときにステージに立っていたのが、
BUGXERというデジロック系のユニット。おぉ、という感じ。
こんな人たちもいたのね。
終わった後に話したら、やっぱり、仙台でも盛岡でも珍しいらしい。
ちなみに、メンバーは、BOOM BOOMも、スパーカーも好きらしい。
ちなみに、タメで高校時代は、プロディジーとか好きだったらしい。
あはぁー、同じだぁ。
現在は、ライブのために生きる生活のよう。
仙台、郡山までライブに行っているらしい。すげぇ。
連絡を取るよと、番号を交換。

バンドを解散するときと言うのは、
それまでの何かを捨てる瞬間なのでしょうか。
ゴージャス☆の最後の曲は、その日2回目の演奏になった「二人の絆」。
そのステージは、観客を懐に入れることができる余裕が、
バンドみんなにあった。
自分たちが楽しむんじゃなくて、お客さんも楽しませようという
パフォーマンスだった。
一緒にステージを作ろうという。
そのとき、このバンドは解散するけど、得たものがここにあるなと思った。

打ち上げでは、なぜか、弟の後輩のみなさまと同席。
弟によると、俺の飲みっぷり(ちゅうか、騒ぎぶりに)をおもしろがっていたらしい。君たち、まだまだ修行が足りないわよ。

打ち上げには、ラジオ盛岡の人も来ていて、
なんと、三高の大先輩らしい。
最近、三高出身者が世の中の良いポストに就き始めているらしい。
おもしろい。

現在、東京滞在中。

本日は、恵比寿にある東京都写真美術館で催されている
「映像体験ミュージアム」と
東京現代美術館の「森万里子展」に行って来た。
一日中、歩きっぱで足が痛い。以外と岩手人は弱い。

「映像体験ミュージアム」は…
おっと、モスの電気が消えたぞ、
早く書かないと…
映像の原始とも呼ばれるような作品から
最新の映像作品までを展示し、
人間と映像の関わり方を考察している展示。
けっこう、タメになる展示だと思う。図説も購入。

会場には、岩井俊雄さんの「時間層」!、
八谷さんの最新作が!!
やったぁー!という感じだった。
行くまで、それがあるとは知らなかったのですよ。
良かったです。

会場でインタラクションで知り合った九州芸術工科大学の院生の方に、偶然、
現代美術館で出会う。
彼によると、八谷さんの作品に使われている風車は、マウスを分解して利用しているものだという。
彼も、それを利用して風車インタフェースを作った経験があり、
感動したらしい。
なるほど、意外なところに素晴らしいインタフェースの種があるのかも。

「東京の街に出てきましたぁ〜」

東京ねぇ、なんちゅうか、うーむ、慣れないと己を、
いや社会を、いや人間を客観的に捉えることが難しいというか。
動体視力が鍛えないと、街を歩けないし。

ええは、盛岡で、当分は。

ほんでも、芸大に先端メディアなんとかの院ができるらしい。
前述の方によると、いろいろ受けた方が良いと。なるほどなぁ。
ええ、当分は、盛岡を出ます。はい。

先日、サカタくんと今回のKOZのチラシのデザインをしていたヤコちゃん、
それからKOZの役者のタクミ君と
アイコ、宿主のタカヒロと焼き肉のみをする。
サカタくんは、おもろい。
えー、KOZ歓迎、朝まで生日本酒を26あたりにするので、盛岡のみなさん、よろしく。

気が付くと朝!

私の生活は、どうなっているの?

友人の留年が決定らしい。なるほどねぇ。と言っても、人ごとでもないなぁ。僕の場合は、卒業できるか?だからなぁ。やはり、日本は4年で卒業するのが基本らしく、5年で卒業して編入とか進学は難しいらしい。ん、でもなぁー、やりたいこともあるし、と言っても、うちの大学の院には残りたくないし、誰かに相談すべきだなぁ。つっこんだ話をして。

でも、クラブで、「留年、バンザァーイ!」と叫んで飛んでいたのは、僕であるわけで。はぁ、嫌な春が来るわ。

最近、クラムボンにはまっている。いやっ、すごい。もうね、歌詞に惹かれるわけ。音も良いし。あぁ、そういう風に音を鳴らして来るんだと思っちゃう。ヘッドホンでじっくり聴くべし。中には、ベースがよく聞こえる曲もある。個人的には、ベースがじっくり聞けるミキシングが好きだったりする。ウッドベースとかは、最高だね。

あさってから東京だ。悲鳴を上げている体をだましている身としては、夜行バスはきついと思い、早朝に新幹線で行くことにする。帰りも、新幹線になるかも。時間を買う。この理論が、ここにある。でも、東京でいろいろ見たいし、人に会いたいし。あっ、メールを書かなくちゃ。

RIZMへ打ち合せで行く。

で、今回はイベントだけではなく、己もプロデュースしてもらうということで、
髪を切ってもらう。
切ってくれたチャマさんが「パーマしてみようか?」と言う。えっ、どんなかんじになるんですか?と聞くと
「かっこよくなる。」の一言。
その一言で、パーマを入れることに。初パーマである。
でも、パーマ!という感じではなく、さりげないパーマ。
言わないとわからないかもしれない。そこを狙ったらしい。ストーンとした、
ストレートよりも良いかも。

仕上がりは、良い感じ。本人も気に入っている。

夜中に、友人に機材を貸しに行く。
友人は、頭の方を見ている。
おっ、パーマの話をして来るか?と思ったら、
「荒川さん、白髪、目立ちますよ」

あ”ぁ〜…

良いさ、若白髪は何とかと言うから。

上田の姫は、機嫌が良いのか、悪いのか、おもしろかった。殿の困惑ぶりにも。おほほ。

大学を出ようとすると、外は既に明るくなっていて、
駐車場の真ん中に立つと、うっすらと朝焼けの空が広がっている。
夜は、月がとてもきれいで、月の光に照らされた雲が空と世界の広さを語っていた。
そして、朝焼けは、僕にいろんな可能性を教えてくれるように、刻々と光を増していく。

意外と真面目な僕は、どうにかなるでしょうという進路設計ができなかったりする。不安になるからだろうか。意外と、筋道を立てて、明確に考えたりする。

でも、道もない荒野に僕は立っているわけで。

朝焼けの下、頭の中が溢れそうになるくらいのイメージとプロジェクトと期待で、自分が決壊しそうで、でも、それに生きる力、拳を握りしめるときに感じる躍動感、それを感じている自分。壊れそうな自分とそこに生きていることを感じている自分という、そのアンバランスさが、今の自分だと思い、そこに自分を求めようと思う。

高校の頃、こんな自分がいるなんて、思いもしなかった。
世の中で自分の存在をこんなに確かめられる日々があるとは。
たぶん、中学の頃の自分も思っていない。

叫びたかった。ものすごい、形相で壊れそうになる自分を押さえながら、生を感じながら、外に放出されるエネルギーを押さえ込んだ。
これは、今、放出すべきものではない。
別なところで、放出すべきものだ。
そう思い、映像的な朝の風景の中を車で走り抜ける。

やはり、アラカワ、めがねボーカル好きは本当だったようだ。

先日、Virginで見つけた今年の注目作品、Are you independent? / Streo Fabrication of youthが、とても良い。最近は、クラムボンとこのCDが、僕の中でパワープレイ。スパイラルライフとか、AIRの初期が好きな人にはお勧めかも。轟音+切ないメローディですね。

で、メンバー写真をWEBで見たら、あらぁ、ボーカル黒縁めがねを掛けているよ。という感じです。年もほとんど近いのね、びっくり。

徹夜明けだというのに、朝までCine Bossa。なぜか、同じの学部の同じ学年の人がいて(章義さん曰く、同級生)、段々僕のイメージが崩れて行くそうです。思うのだが、一体僕はどれぐらい大学でまじめな顔を下げているのかなぁ。不思議。少なくとも、クラブで腰をくねくね男ではあるのだが。おまけに、アフロウィッグデビューもしちゃった。

クラムボンの「ナチュラル」は、「今」の名盤。

このアルバムは、たぶんね、なんだろうね、わすれかけている、切なさとか、こわれそうな瞬間とか、きれいな瞬間とか、可愛い瞬間とか、瞬間と瞬間の間の空気とか。そういうのを僕に、思い起こさせてくれる。でも、元気にもさせてくれる。

グリコアワー終了後、肉体的にも、精神的にも走りっぱ。おかげで、たまに体がうなる。そう、カープを抜けようとした瞬間。直線でスピードが重い気っり出た瞬間。体がうなる。

教育って、何だろう?今日、大学絡みで起きた出来事で、いろいろ考える。

久しぶりに三高訪問。
新校舎が出来てから訪問するのは初めてで、びっくり。
なんだ、このおしゃれな学校はと思ってしまった。
床は木を使っていました。ここ最近の校舎作りは、こうなっているらしい。

放送室は、ブースができていて、広いぐらいで、あとは何も変わっていなかった。ちゃんと、生徒のフィードバックを活かしていないデザインだなと思った。
逆に言うと、備え付けの変な棚とかがないから、生徒が自由にレイアウトできるという利点はあるが。
校舎が新しくなったからとはいえ、お引っ越しですから、僕の頃からがんばっている機材や棚などはいっぱいあって、懐かしかった。というより、がんばれよと。

後輩の昨年秋の新人戦の作品を見る。
荒いところもあるんだけど、僕が高校の頃の作品と比べて、まとまっているんだよね。びっくりしちゃった。「月の海」は、トリップしていたからなぁ。でも、あれを見せたい人は何人かいる。

話は戻って、彼らの成長には何が必要かと思った。
それは、この作品をいろんな人たちに見せること。不特定多数の人に見せるということも大事なんだけど、いろんなジャンルの人に見せるということ。

現在の高校の放送系の活動は、とても閉鎖的。
こんな情報社会なのに、外を知らない。まぁ、本人たちが外に出ようとしていないだけかもしれないが、進路を決めるときに大学一覧を見て決めちゃダメだ。社会を知らないと。

三高の視聴覚委員会(放送部)の連中というのは、昔から外を見ているヤツが多いと思う。僕が然り、タカヒロ然り、そして、今のM沢、Y田も然り。だから、余計にこいつらの作品を外に持っていきたい。放送部の大会で、内輪でみせ会ったりしているだけでは、ダメなり。敏感な彼らに十分な刺激を供給していない。

しかし、高校演劇の顧問たちと違って、放送部系の顧問たちの大多数は、冷めている。いや、「大人」なんだと思う。でも、それで本当に良いの?あなたたちの言い訳で、彼らの青春(高校時代)を不完全燃焼にして良いのだろうか。M沢の話を聞いていると、あぁ、俺があんなにあがいて、暴れまくって過ごした高校時代は、ぜんぜん無駄じゃなかった思える。こういう人材が育っているんだよって。

僕らOB/OGの学生、いや人間たちが何ができるか。真剣に考えないと。

僕は、高校の頃、学校に社会に、吠えていた、叫んでいた。
それを、僕は一人の人間として、体現化していかないと。
教育機関に入ろうなんても思っちゃいない。
街の教育者として、成っていけたらと思う。
体現化。それは、あのころの己との戦いであり、自己の存在の肯定でもある。