クリカフェの宣伝のため、FM岩手でやっているアキュートの番組にお邪魔する。ちゃんと、いや、たぶん、ちゃんと宣伝をして、その後、講義に出るために大学に戻り、講義が終わると、戸ノ岡な人々に会うために岩大へ。研究ゼミがあるため、また県大に戻り…

ちと、忙しい一日ですな。まぁ、そんな日もある。

大学院志望なんですよと、パーソナリティに話すと、優秀なんですね、と言われる。いや、優秀じゃないんです。可もあるし、不可もあるし、と言いたくなる。本当に入れるか疑問なんですが、僕には居場所がないんです。そんなことを思う。なんとか、自分を奮い立たせて講義に出ようと思う前期。4年なのに、5コマも講義が入っている。おかしいよな。

地上波でビデオクリップ番組が流れている。空気公団のクリップ目当てで見ているんだけど、まだ空気公団は流れず、その前のクリップたちは何だろう、今のところ、つまらん。刺激的じゃない。ただ、音に絵をつけただけ。そういうのが欲しいんじゃないんだよなって、考えながら、何を自分は作れるんだろうって、考えてみる。

昨日、就職活動に思い悩んで自殺した女子大生のニュースが流れていた。妙に、リアルだった。そう感じる。受験を繰り返して生きてきて、そしてまた就職活動。何でこんなに、息が詰まるような若き日々なのだろうか。アラカワ、社会とはそういうものなのだよ、って誰かがささやいてくる。何だろうね、ふと思う。

今日は、書くことがいっぱいある。
ラジオ出演を終えて、せっかく駅前に来たからと、駅ビルの中にある新星堂に行ってスーパーカーの新譜を視聴する。発売前だけど、新星堂だけは置いてあるらしい。買ってからはまりそうだけど、実にたらまない仕上がり。そして、そこで僕は一枚のCDに出会う。柳田久美子というアーティストのCDに。フライヤーによると、盛岡在住、18歳、曽我部恵一プロデュース。うぅ、気になるでしょ。前から、噂には聞いていた。盛岡からメジャーデビューする人がいるって。あっ、この人なんだと。

前に、スーパーカーがデビューした頃も、青森在住で、何だか良いなって思った。やっぱり、関東と東北って、やっぱり離れている。その離れているところに、一種の余裕があるんじゃないかなって思う。東京にいると、すぐに答えを出さなくちゃいけないけど、離れていると移動の間も考えていて良いような気がするじゃない。そこに、余裕があるような。柳田さんにも、余裕を持ったアーティストライフを送って欲しいなと。あれですよ、別にスーパーカーがダメになったと言うことではないですよ。彼らは、新曲の毎に進歩していますから。なんとかね、そう思ったわけ。盛岡に住んでいるんだったら、一度お会いしてみたいなと思いつつ。

でも、そんなこと関係なく良いCDだった。持ち合わせがなかったから買えなかったけど、次は買おうっと。

IEがよく落ちるような気がするので、mozillaに変えてみる。まだ、試用中だけど、なかなかいけるかも。

ニューメガネができあがる。よって、明日からニューメガネ。

大通りの裏にある桜が咲いていた。
やっぱ、桜の花が咲いているとひかれるものがある。華があるというのか、なんというか。そろそろ、盛岡も桜の花が咲き乱れるのね。

マシェリに載っていた蔵カフェが気になる。
花見がてら誰か一緒に行ってくんないかな。仲間を募集しようと。
アラカワゴンで行く春の岩手路。蔵でまったりツアー。

昨日らへんからずーと、プレゼンについて考える。
今、自分が企画している内容を一言で伝えられるか。自問自答しながら、ネタを考える。

明日は、ラジオ出演だ。早めに寝ますか。

研究室に一年生が仮配属され、研究室内のオリエンテイションっぽいものが行われた。あんま、興味が湧かないが。

何だろう、今の現実が嫌で、新しく来るものに希望とか期待を持ちたいというのが、無いからだろうな。たぶん。

22日から映画館通り近辺のカフェを中心に、地域通貨がスタートする。ブランカフェで地域通貨の”c”(Cinemaのcである)に両替ができ、カフェでの支払の一部をcで払うことができる。1c = \1となり、ブランカフェにて500cから両替ができるようになる。利用者が払った500円は、インディーズ映画(アート)の支援に使われたり、古い良質の映画を再上映するための資金に使われる。また、地域通貨は、円との両替だけではなく、大通のゴミ拾いに参加すると500cをもらうことができる。事務局が催すゴミ拾いが13日の9:00からある。ブランカフェ集合。まだ、運用前なので、cはもらえないが、参加してみると、なぜ地域通貨が必要なのかのヒントを得ることができるかも知れない。

僕は、この地域通貨のアート部門をサポートすることになっている。地域通貨は、コミュニケーションを共にする通貨である。横のひろがりを持ったアートシーンに地域通貨があっているんじゃないかなって、前から漠然と考えていた。それを実現してみよう。

アラカワケンスケが目指す作品は、アートなのかパブッリクシティを持ったものなのかという話が前にあった。
僕が目指す作品とは、街に生きる作品だ。同時に、活きる作品だ。もし、アーティストになるのなら、街のアーティストになりたい。映画や映像作品を観た後に、居酒屋とかでみんながあの映画はどうだったのって、話すじゃない。そのとき、作品は社会の共有物に化す。その瞬間、僕のワークは良い方向に進んだと思えると思う。

クリカフェつながりで、盛岡に拠点を置き全国区でネットショッピングやショッピングモールサイトのコンサルタントやプロデュースを行っている人に会う。

僕自身、そんなにネタがない男なので、戸ノ岡プロジェクトの話をしたり。

5時間ぐらい話を聞いたりしていたんだけど、なんだろうね、自分はまだ甘いなって思った。逆に、この人からこの話を聞かなかったら、秋頃には寒い結果になっていたんじゃないかって思うぐらい。プロデュースをするということは、そういうことなんだと改めて思い知った。

盛岡には、プランナーやプロデューサがいない。それが、共通の見解だった。同時にコンテンツ屋がいないと言うことにも直結してくる。これからは、ただものをつくっているだけではダメだ。他者との関係性を見出せるようではなければ。それがビジネスなのか、コミュニティ作りなのか、井戸端会議なのか、それは何でも良いのだ。でも、関係性を求める、つまり作り手と観客とのコミュニケーションを計る。ここに、僕が求めている作品像の一つがあると思う。それに挑戦してみようと
思うわけだ。

そういえば、前に書いたかも知れないけど、某友人の親父いわく、岩大特美の統計的な就職率は0%らしい。これには、大学院の数値は入っていないと思う。学部だけと思う。在校生展を見てきて思ったのが、やはり能力や才能を持っている人は多い。だが、彼らの力を発揮できる場所が、盛岡には無い。でもさ、作れば良いじゃんというのが、究極の答だったりする。それができているんだろうか?

Hotwiredのインタビューアーカイブの中で、90年代後半に起きたクリエイターユニットブームについて触れられていた。現在でも、WEBやインタラクティブアートや映像の世界で、そういったユニットが活躍している。僕が好きなTOMATOはその先駆者であり、トップランナーだ。彼らは、スクールを卒業後に、自分たちのデザイン事務所を作って、そこからビジネスをがんがん展開している。ビジネスの一方で自分たちのアート性を発揮できる作品やプロジェクトを展開している。

盛岡などの地方都市に必要なのは、そういう若い連中なんじゃないかなって思う。どうなんだろう、今春、そんなかっこいいデザインファクトリーが盛岡に登場しないかなって、ひそかに期待しちゃう。

何?アラカワケンスケは、やんないのかって?当たり前じゃん、作るよ、TOMATOを越えたスタジオをさ。

お前ら、一緒にやろうぜ!と言いたいよね。その前哨戦の一つが、戸ノ岡プロジェクトだったりして。

流れていくイメージ。それをすくう作業。

最近、ずーと金臭いニュースと血生臭いニュースが漂っている。麻痺してくるのか、新聞の記事にも拒否反応を示す。特に、秘書問題。この際、洗いざらい出しちゃった方が良いと思うのだが。

壊れかけた自分のかけらを拾い集める作業。

戸ノ岡の監督が決まる。
明日、WEBで発表。

どうも、最近、世間話のネタがないような気がする。映画とか、映像のことばかりを話す自分。良いのかなぁ?と、ふと思う。

夏映画。ことごとく、声をかけている監督が、同じくオムニバス映画を企画している高村さんとかぶっている。映像を撮っている人間が少ない盛岡だ。致し方ない。

でもさ、監督が同じならば、あとは中身というか、どういう風に撮るかによって、個性はまるっきり違ってくると思うし、そこでお客さんにアピールできると思う。要はプロデューサが、どうやっていくかなんだよね。それに関しては、やってやる!という思いがある。そうさ、やってやるさ!

戸ノ岡の企画書の冊子をつくる。でも、計算を間違って印刷したようで、まだまだ印刷しなければならない模様。とりあえず、明日渡す分を綴じ綴じ。明日、オファーを出す監督からOKももらえれば、制作発表をちゃんとできそう。

戸ノ岡にはまっている僕は、iTunesで戸ノ岡MIXを作っております。あとで、CDに焼こうと。

本日は、健康診断。血を採られ、いろいろ計られ、写真も撮られ。

どうも、母体ではアラカワ干しが始まっているらしい。単なる連絡ミスかしら。まぁ、ええか、んなことは、アラカワなんで。

と言っても、明日のミーティングには、人は来るのかしら。結構、映画部、存亡の危機だと思うんだけどなぁ。もし、映画部が滅亡した場合は、サークルででも、勝手に登録しておこうかな。そうしないと、講義室とかを借りることができない。いや、待てよ、すでに自分の活動というのはキャンパスで行われていないわけで、必要性もないなぁ。

盛岡の映像系は、部とかサークルにこだわる人間が少ない。結局のところ、知っているヤツ同士で組んでいくことが多い。岩大だと、写真部が重要な出会いの場になっているんだけどさ。でも、うちの映画部は、自分以外、これといって対外的に作品を作る人間がいないわけで、それじゃぁ、持つもんももたないよなという話になる。

でも、最近悩んでいるのが、非映像系の人たちと組むとき、どういう位置関係になるかということ。役者のみなさんは、客演という立場になるのかな。なんか微妙。プロデューサは、考えることが多いです。

県大に入って、映画部に入ろうと思っている方は、アラカワケンスケまでご連絡ください。いろいろホローしますんで。

戸ノ岡の資料の印刷待ちの時間をつぶすため、あちらこちらの掲示板を見歩く。すろと、クリカフェへのレスがけっこうある。で、受けたのが、交流するなら有料じゃなくて某所(伏せる)のロビーでいいじゃんとかいう書き込みが。うーむ、まだ、分かっていないお人もいるのね、と思いながら。結局のところ、自分のテリトリーで人を集めたりするのは簡単だが、逆に自分のテリトリーじゃないところに行くというのは、結構大変だと思う。だから、カフェなんだと思う。誰のテリトリーじゃないところで、開催する。そこに、意義があるのだ。

でもなぁ、運営は大変だよなと。ここ最近の掲示板でのやりとりで考える。おまけに、オンラインでのやりとりもなんだか一部でしか盛り上がらず。難しいよなぁって思い始める始末。とほほ。ちと、弱音を吐いてみる。

本日は、特美組にこき使われる。お前ら、戸ノ岡プロジェクト頼んだぞ!本当に。おかげで、作業は22時頃から着手。とほほ。

クリカフェの高校生問題、難しいなぁ。でも、こういうのは議論しないと。

プロデューサーの大変さを知らないからだろうか、プロデューサーって良いよなぁって思う。たぶん、数ヶ月後、もう嫌だとか言ってそうだけど。

後輩がまた一人、うちの大学に来る。モデル候補が出来て嬉しい限り。

ずーと、頭の中で戸ノ岡物語のオープニングとクールビューティ系のビデオクリップの映像を考える。ここんとこ。どうやって人を惹きつけようか。

戸ノ岡プロジェクトの資料を準備するため、昔の写真を漁る。いろいろ出てくる写真に目をやる。こんな時も、あったんだなって、少し振り返る。と言っても、自分で決めたこと、と己に次の動作に移るように促す。

中学の頃、一日の生活時間をつける「生活ノート」なるものが配布され、毎朝担任に提出することが義務づけられた。まぁ、生活リズムを崩さない、担任とのコミュニケーションのためにあったノートだったと思う。あのノート、今、つけたらどうなるのだろう。ほとんど、作業だね。こういう生活、どうなのでしょうか。自分が好きなことをするために、それ中心の生活を組み立てる。それが、今の自分かもしれません。

そういや、生活ノートを一年間、ずーと出すことはありませんでした。僕の記憶では、5月頃になると提出していなかったような気がする。僕は、基本的に三日坊主なのです。日記を付けて、持ったことがない。なのに、-edなことはほとんど毎日、書き込んでいる。不思議。

先日、初めて会ったKOZのメンバーに、アラカワさんって怖い人かと思っていましたと言われた。どうも、-edなことを読んでそう思ったらしい。んー、そんなことないんだけどね、と行動で示す。たぶん、誤解は晴れたでしょう。しかし、この誤解が晴れるにも問題がある。

作品だけでアラカワケンスケという人物を知る人は、本物の僕を見ると、いや、ふざけている僕を見ていると、イメージが崩れて行くそうだ。へぇー、としか言えないけど、そうらしい。考えてみると、昔からそうなのよねぇ。

ニューメガネを買う。まだ、届いていないが、4月中旬にはニューメガネになります。先週ぐらいに、一度メガネ屋巡りをした。その時に、一番接客が良かった店で、今日は買った。接客が良いというのは、流行りのメガネを勧めるというよりは、自分に合ったメガネを探してくれる店員の接客という意味である。だいたいどこに行っても、お探しのメガネはどんなのですか?と来て、次は今、これがよくでていますよ、という話になる。別にさ、僕はさ、流行を追い求めてメガネ屋に来ているのではない。自分のイメージを上げるメガネを探しに来ているのだ。今日、もう一度行くと、イメージに近いメガネに遭遇。僕は、気に入るとすぐそれに決めてしまうタイプ。買い物も、デザインも同じだ。しっくりくるかどうかである。まぁ、一目惚れという例もあるし。

栃内病院の桜が咲いたらしい。本日は、気温計が18℃を示していた。本格的な春も近いですな。WEBで、輪行バックを探してみる。チャリシーズン到来です。

今日は、エイプリルフール。でも、Kaliumは何もございません。

我が研究室の村山先生が、教授に昇進。晴れて村山研に。これは、4/1とは関係ないよなぁ。

週末のことを書かないと。サカタくんが率いる劇団「烏合の衆 KOZ」が南昌荘で芝居を行った。彼らは、神奈川の桜美林大学の学生なわけで、今回はサカタくんの家を宿にして、遠征公演になったわけ。そのガッツと勇気に敬服。いくら演出の地元とは言え、知らない土地で芝居をするって、不安だと思う。自分がどこかで上映会するというのは、想像つかないもんね。

公演二日目の午前中に、ワークショップが催された。ゲームやエチュードをしながら、演技って何だろう、芝居って何だろうって考えさせてくれるワークショップだった。参加者の多くが高校生で、それも、女の子ばかりで、男は僕とブチとミッチェルさんだけ。ミッチェルさんは、学生じゃないけど特別参加。役者のためのワークショップだったのだけど、演出って何だろうって、考えさせられるものだった。ワークショップの進行とかを見ながら、坂田という男は演出だなって思った。

僕はいろいろ忙しく、最終日の公演を観た。
南昌荘の板の間が会場になっていたのだけど、何だろう、行った瞬間に、ん?と思ったの。きれいって。その日は、雨が降っていて、雨だれとその先に見える庭の緑、そして凛とステージに立つ役者たち。あぁ、きれいだなぁって。
そして、芝居自体も、びっくりするほど、僕が現在企画している戸ノ岡プロジェクトに近い素敵なストーリーだった。幼なじみが経営するカフェと中古レコードショップに集まる若者たち。様々なバックボーンを持ち、そして今と闘っている彼ら。静かなる熱さ。何だろうね、それはもう、言葉に言い表せない空間。小さい頃さ、週末のテレビでやっている映画を見た後、興奮して寝れなくなってさ、夜空を見上げて、テレビで見たストーリーの続きを思い浮かべるの。すると、もっと寝られなくなって。そんなのがあった。

芝居が終わった後、すぐにサカタくんの所に行って握手を求めた。たぶん、今自分ができる一番の表現だと思った。その日は、ずーと笑みがこぼれっぱなし。良いなって。

打ち上げに顔を出せてもらったんだけど、KOZのみんなは良い奴ら。バラシを一緒にしている最中も思ったんだけど、願わくば仲間入りしたいなって。それぐらい素敵な連中。なんだろう、転校した気分だろうか。昨日、打ち上げの後、サカタくんちにお邪魔して、みんなと別れて、今、僕はここにいるのだけど、なんとなく寂しい。不思議だな。

坂田雄平、というタメの男が、中央でいろんなことを勉強して、こんないい仕事をしている。刺激されるね。芝居を観ながら、良いなぁと思いながらも、この芝居を越えるような映画を夏に作りたいなって、思った。自分は、なんやかんや言っても、もの作りの人だと思う。単純にそう思えた。

でも、最後に一つ言いたいことがある。今回のKOZの公演、実は興行的には辛いものだった。最終日は20人お客さんが入っていたのだけど、初日、二日目は10人前後という寂しいものだったらしい。確かに、ローカルの制作が一人とか、宣伝期間が短かったとか、情宣的にきついものがあった。だけどさ、少なくとも盛岡で演劇をしている人は、みんな今回の公演を耳にしていたはず。なのに、ほとんど来ていない。いや、特に学生連中が来ていない。なんでさ?なんでよ。少なくとも、芝居の制作過程のバックストーリーだけでも、観に行かなくちゃと思わせる芝居だと思うのだけど。KOZのみんなよりも、制作のヤギーよりも、悔しさを表に出している僕がいた。

最近、映像をやっている連中の方が、元気良いよね、という話が聞こえてくる。表現方法によって、表に出やすい難いというのは、あるのだけど、でも、なんだか寂しいというか悲しいことが最近多い。

でも、ぼやいてもしょうがないような気がする。サカタくんがこんなことを言っていた。「盛岡の街を制覇するぐらいのことをやって、盛岡を出たら」そうだなって、思った。今夏、俺は台風の目になる。それぐらいの勢いで映画をつくろう。そう思った。自分たちがアクションをとって、その姿でみんなにわかって欲しい。

きっと、こんなことを書いていると敵を作るんだろうなって思うけど。敵をつくってなんぼよ。自分が自分であると言うこと、自分という色を打ち出せてなんぼでしょ。ブチに、アナーキーだなって言われた。世の中、こんなヤツがいても良いと思う。そう思う。

そろそろ大学も始まる。
一年の内で、ふしぎにワクワクしちゃう、4月が始まる。