浮気をしてしまった。LEGOファンなのに、KUBRICKを買ってしまった。というのも、コンビニに入るとグリコマンとビスコ君というあの濃い顔がパッケージのお菓子を発見。グリコマンのコスプレ(だってそういうことでしょ)のKUBIRICK人形がおまけでついて来るという。怪しげファンとしては、たまらない。裏の一覧を見ながら、グリコマンか柔道着姿のグリコマンが欲しいなと思って、買ってみると柔道着姿をゲット!英語では、judoistと言うらしい。

早速開けてみて思ったのが、やっぱりLEGOの方が繊細だなと言うこと。ラインとか、素材とか。KUBIRICKは雑な感がある。

上映会の準備が進んでいるわけだが、僕はやはり平面な人なわけで、空間とか会場の飾り付けとかは、やはりダメなわけで、みんなの案を聞きながら、ほうほうと聞いていた。さすが、st-azumiとか思いながら。

プロデューサって、やっぱり調整役だと思う。ただし、何でも屋になっては行けない。最近、それは強く思う。僕の場合、一通りのことがある程度できるから、それに陥ってしまう傾向がある。それは、今後回避していく必要がある。常々思うのが、自分にしかできない仕事は何か?それを考えながら、運営していかなければ。と言っても、俺にしかできない仕事が多くて困っているけどね。

年始早々に仕事のトラブルが発生し、萎える。フリーは厳しいなと思う。

体が本格的に動かなくなってきた。やばいなぁ。
雑務が多く、依然として自分のメインの仕事に集中できない。まじぃぞ。

今年は、ホント、あけましておめでとうございますの気分ではない。
勝手にやっておれぃという感じである。それよりも、19日が気になって、どんどん神経質になっていく自分である。

と言っても、いつも笑顔を心がけていますが。にやぁ。

へっへっ、不平不満はあるが今は抑えておきます。どっかで、でかい声で言ってやる。

最近、盛岡でも札幌とか茨城とか、そういうところでガンガンやっている人たちのようなことをできないのかなって思う。

いや、逆になんで盛岡にはいないのよって強く思う。

2003年。
僕は、価値観のパラダイムを迎えなければならないんだと思う。それは、きっと重要なこと。

どこに向いているか?の次は、どこに行こうかである。そして、次はどこにいて、どこに向こうか?である。

もう、2002年も終わりだなぁ。やばば。
いろいろ慌ててしまう。

バイトも今日から休みなので、集中的に作業をしなければ。

アメリカによるイラク攻撃で、世界経済は冷え込むと国際銀行が予測を発表した。戦争をして儲かるのは一部だけなんだろうね。原油が上がったりすれば、弱い国は大打撃ですもの。その前に、戦争ありきのアメリカの対応が嫌である。

でも、もっと気がかりなのは、北朝鮮だろう。柔軟なところを見せていると思われるイラクよりも、堅くなり始めているような気がする。どう出るか、わからないというのが本音ではないだろうか。

とりあえずは、1/19まで世の中が平和でありますように。

昨晩の月はきれいだった。きれいだった。

後は編集だけだなぁ。正月は、1/24以降に来ると思う。

クリカフェスタッフ忘年会があり、久しぶりにちゃんと寝る。「しぼりたて原酒」はうまかった。

正月のバイトシフトが出る。希望は出していなかったが、休める。編集、上映会準備時間を確保か。

「ありがとう」

僕は、手を合わせてそう言った。

友人で、僕の作品「my ID」にはモデルとして、「relation」では撮影の手伝いをしてくれた大原志津香さんが亡くなった。本当に、突然のことだった。最初にそのことを聞かされても、なんのことかさっぱりわからなかった。何しろ、24歳の若さだし、死因もはっきりせず、床についたまま逝ってしまったのだから。
お通夜の時に見た顔は、まるで眠れる森の美女のよう。「my ID」を見てくれればわかると思うが、きれいな人だった。みんな、口々にそう言うし、みんなから愛される人柄だった。

みんないろんな人生経験をしているのだろうけども、僕の場合同じ年頃の身近な人が亡くなるのは、初めてに近い。ショックというか、やるせないというか、切ないというか、言葉にできない出来事。

確かにわかっているんだ。死について。彼女の死について。でも、感情面では未だに理解していないような気がする。葬式に、彼女の教え子たちも来ていた。彼らは、いまどうやってこのことを捉えようとしているんだろう。22歳の男ですら、整理ついていないことなのに。僕が、そこらへんの把握能力が乏しいのか。

遺された彼氏の気丈さというか、このことを理解しようとしている姿を見ると、なんだかなぁって思う。でも、話を聞きながら良い男だなって思った。余計に悔やまれる。自分が生きることで、心の中で彼女は永遠に生き続ける。そう、彼は言う。なんだかなぁ、なんだかなぁ。

僕は、最後に彼女にこう言った。

「僕は生きて映画を撮ります」

生きることって大切なことなんだ。そう、僕は改めて思った。

生きよう。

映画祭も終わり、一段落である。ふぅ。

思いがけず元担任の家にお邪魔して、アワビご飯をごちそうになってしまった。驚き。なんとなく、ちょっとだけ落ち着いた一日を過ごしたような気がする。時間がゆっくり流れるというか。

ダメさ発揮中だな自分と思っていたが、100%まではいないが理解してくれる人が数人いると、なんだかほっとする。無論、罪の意識と自分の立場をわきまえなければならないというジレンマがあるのだが。

昨日は、いろんなひとの誕生日で鍋パーティを決行!大いに盛り上がった。みんな、おもろい人たちです。感心。

考えなければならないことが、いっぱいあるぞ。本当に。
映画祭、戸ノ岡、エトセトラ。

友人に、マニュアルカメラのおすすめを聞く。Nikomart FTNが良いとか。確かに、実機を触ってみると、良い。OLYMPUS OM-1も捨てがたい。基本的に、50mmと余裕があったら広角を付け足すぐらいのシステムで良いと思っているから、そこらへんが良いなと思っている。

と、ヤフオクを徘徊していたら、ローライ35 FXにひかれてしまう。LOMOみたいなカメラというか、フルAEのコンパクトカメラ。ローライ35はちとマニアックだけど、こっちはこっちで、手軽に撮れる感じで良いよなぁ。待て待て、俺は一眼レフを求めていたんだった。まずいまずい。

どんどん、カメラ小僧になりそうだ。

自分も、引っ越しの準備に本格的にはいる。まずは、創作環境の確保が重要だが、意外と環境が良さそうな場所を確保できた。これから、機材移動。どうなることやら。

制作を担当することになった演劇「黎明」のワークショップオーディションがあった。作の夏井さんも来盛。どんな人が現れるのかなと思ったが、意外と親しみやすい人だった。坂田くんも帰ってきて、ここ二日ぐらい顔を合わせた。

何で、僕が芝居のスタッフをやるかって?普通の芝居のスタッフはやる気はしない。坂田雄平が盛岡で芝居を作るから、参加するのだ。理由はそれだ。KOZを観たときの衝撃。そして、同時に東京から故郷の盛岡にやってきて芝居を作り、あれだけのものをつくる。それは、とても大変なことである。それを少しでもサポートしたいと思い、名乗りを上げた。良いものは、どんどん外に出していかなければならない。

バイトに向かう途中、時間に余裕があったので、中津川に目をやる。水面がきらきらと光る。石垣がある土手とそこに沿って建ち並ぶ古い家屋を観ながら、こういうのを映画で使いたいよな、と思う。僕は、結構古い建物に魅せられることが多い。建物もそうだし、それらが造り出す町並みにも。世に言うノスタルジーな風景というヤツだろうか。と言っても、僕にってはノスタルジーではない。なぜなら、郷愁でもないからだ。そこにあるのが、当然であり、今だからである。幼い頃の風景を主だすという感覚はない。それが、自然なのだ。実際のところ、僕の周りにも、そういう感性に近い連中が多い。若者ならば、もっと近代的なものに憧れなさいと言われるかもしれないが、新しい物に一辺倒ではない。そういう感覚を僕はこの二十年間、盛岡という街で培ってきたのかもしれない。

最近、どんどん中古MFカメラが気になる。そんな中、古いカメラが家から出てきた。と言っても、そんなに格好いいカメラではない。KONICAが世界で初めて出したフラッシュ内蔵のカメラだ。レンジファインダーカメラと言って良いのかねぇ〜。わからんが。電池を取り替えれば、露出計をだましてなんとか使えるので、今度使ってみようかなと思っている。

カメラが気になるのも、そうであるが、実際のところはカメラをぶら下げて、ぶらりと散歩して歩きたいのである。カメラとは、散歩、日常を濃くしてくれる装置である。僕にとっては。

最近、報われないなぁと思うことが重なる。
なんだろう、今まで自分がしてきたことが果たして良かったのか。良かれと思ってきたことが、良かったのかと思ってしまうことが多いのだ。
そういう、悶々としたことが、自分の中に溜まっていくのは日々感じている。どうにかしなければならないと思いながら。

社会における自分と、個である自分、つまり自分は自分であるという、孤独ぶっている自分とのギャップの中に喘いでいるというか。その答えは、今は格闘であり、社会と自分への戦いなんだと思う。実際のところ、それは戦いではないんだけどね、でもそう捉えるしかない自分の視野の狭さに、未熟さをかみしめるのだが。大戦略だと偵察機を飛ばしたい気分。

今日、バイト先に行く途中で、突然、popole NUVHを思い出した。長い間、封印していた、それを思い出した。

よう、わからん。正直言って、わからん。

ただ、一つ見えていることはある。鉛筆持って、カメラ持って、被写体と向き合っているときに自分が一番素直であるということ。一番、生きていると思える瞬間であると言うこと。

それを忘れてはいけない。

クラムボン(宮沢じゃない方、音楽の方ね)は、良い。改めて思う。