訳ありで館坂橋から緑が丘まで歩く。なぜか、途中で高松4丁目に迷い込んで、ちょっとした探検を。暖かい午後に桜を見ながらお散歩は、何とも幸せなひとときでした。

と言うのもつかの間、夜中まで仕事。ぐたぁーです。
とにかく時間がない!というのに尽きます。

アラカワは挫折を経験した方が良いとまた言われる。そんなにハッピーな顔をしているかな。

松浦亜弥がこの間テレビに出ていて、たまたま見ていたんですが、あなたは挫折したことがありますか?と質問されて、私負けず嫌いなんでと答えていた。その答え方って、結構すごいなぁと感心したんです。つまり、挫折とは、本人が挫折と認識したら挫折なんですね。本人がそうは思わずに、それをバネにしたら、それは果たして挫折と呼べるものなのか?少なくとも、その事柄は、他者が挫折と呼ぶだけで、本人にとっては、挫折ではないのだなと。あややは、挫折なんてものは、自分ではしないという意思表示をしているわけです。まぁ、自分もそういう人間なのかなぁとか思ったりしたけど、他人がこいつは挫折しているとは思っていないわけですから、他者評価における挫折も経験していないと言うことに。ま、どうでも、良いんですけど、そういうこと。だいたい、俺、挫折したいですという人に、物質的にも精神的にも投資したいと思いませんもの。

たとえ、挫折したとしても、それを表には出さない。それが、一番良いと思います。おもしろいものをつくるヤツは、ハッピーじゃないと。

花見の誘いがちらほら。行きまっしょ!

ひたすら段取り作業に追われる。

音楽というのはやはりおもしろいものだなぁと思った。というのも、同じ年代の人たちに好きな音楽は?と聞くと共通項になるようなミュージシャンの名前が出てくる。単純だけどおもしろい。その共通項と違う点を見いだしていくというのが、人と話していておもしろいところかもしれない。

ネガティブ日記にならないように、自分からも提案をしていかなければ。このコーナを読んでいる方は、アラカワは何?宮澤賢治と石川啄木が嫌いなわけ?という過激な反感を持っている人が出てきてもおかしくないぐらい、彼らを無意味に持ち上げるコンテンツ、施設等を否定してきた。個人的には、宮澤賢治はとても偉大なアーティストであると思う。あの時代だから存在できたのかもしれないが、現代に生きていたらどんなクリエイタになっていたのだろうと考えることもある。とても、マルチな才能を持っている方だから、それを結びつけるような現代の技術があれば、きっとまた違うものを僕らに見せてくれたのではないかと想像してしまう。

今、自分たちが求められているのは、そういうアーティスト、クリエイタを育てていくこと、または自分たちがなっていくことなのだと思う。つまり、この21世紀の初頭においてやらなければならないことは、彼らを顕彰したり、彼らを観光資源にすると言うことに傾倒するのではなく、21世紀の宮澤賢治、石川啄木を育てることにもっと注力しなければならないと言うことである。

単純に石油のように枯渇するものではないが、彼らをコンテンツの素にするのには限界がある。それは、彼らの作品に限界があるのではなく、それらに頼るコンテンツ制作システムによって持たされる弊害が要因で、新しいコンテンツ制作の担い手が育っていないのではないか?って思うところがある。そういう観点から、全体的に見て枯渇が進んでいるのではないかと思うのである。

いろいろ業界を探っていくと、いろんな人がいて、誰もいないなどとは言い切れないが、普通の受け手の人たちは、プロ問わず、盛岡のつくり手はださい人が多いと平然と言う。それが今の盛岡・岩手の状況である。自分もその状況をおもしろいと思っていないが、個人的にもそう思う。いつも、これ?で金もらっているの?と思うし。これで、何がおもしろいんだと思うし。

本気で21世紀の宮澤賢治・石川啄木を育てる。これが、盛岡・岩手の21世紀初頭における命題だと思う。

久々に、早くに帰宅。本日は、ジャケット一つで行けた暖かい一日。
こりゃ、桜もほいほいと咲きそうだ。

人質事件の話になるのですが、今回のことで、もっと一般的にNGOとは何かということを広めていくことが大事だなと感じています。アフガン戦争の時に、日本でも一気に名前は知られるようになったNGOですが、その活動についてはまだまだ、知られていないのではないかなと思います。「自己責任」論が展開されていますが、果たしてそこに行くと言うことにどういう価値があるのかという議論するには、その知識が必要なんだろうなと。これについては、個人的にはNPOってなんぞやということも、知識を深めないとなぁと思ったり。

少々自分も、どうなの?と思ってしまった自作自演話など、今回の人質事件は、解放されてOK!ということにはなりそうにないのですが、少なくとも現地で捕まっていた彼らと、日本の家族と世論とでは、この数日間、かなり違う時間が流れていたのではないかと思わされますね。これから、その溝を埋めつつ、なぜそこで起きたのかを考えなければならないなと。

先日、恵比寿で報道カメラマンとして著名なキャパの写真展を見てきたのですが、戦場におけるジャーナリズムの中に、今回のような自己責任論ってあるのかなぁ?と思わされます。つまり、自己責任があって当然で、そういう状況で何を撮るか、伝えるかと言うことを求めるべきなんだろうなと。戦場って、そういうところなのだろうと。キャパの生き方を見て、そう思いました。

国の重要文化財に、盛岡の肴町にある旧九十銀行の建物が指定されました。すごいね。現在は、賢治・啄木青春記念館として資料館にされていますが。一方で、昨年、お世話になった新潟では万代橋が同じく指定になりました。今でも、万代橋は交通の要として、その上を車がガンガン通っています。わたくし、そういうところに疑問を感じたり。

イラクで人質が解放されました。明日から自分が一市民としてしなければならないことは、この事件において、誰がどんなことをしたのかと言うことを冷静に振り返ること。そこで、いろんなことが見えてくると思う。

知り合いが亡くなって、香典返しがCOMME CAのタオルだった。なんだか、それに疑問と虚しさを感じた。ちなみに、知り合いと言っても、親の知り合いの兄弟だから、あまり自分には関係が薄い話なのだが、なんとなく、帰宅してから、そのタオルを見てなんか違和感を感じる。

蛍光灯に照らされる梅にも違和感を感じる。違うと思うんだな。本当は、違うだろうって。

東京と盛岡で食べた豚丼は何かが違った。でも、やまなか屋のランチはすごかった。

花見するぞ!アチョー!

体調がかなり不良。

日本人誘拐事件@イラクですが、発生時からずーとこれについては、なんらコメントを控えてきました。周りにも。というのも、なんだかよくわからないというのが、印象だったからです。ここに来て、いろんなことが見えてきたような気がするというか、様々な情報が錯綜し始めて混沌としているなと。少なくとも、発生時の同情的な意見一色だったのが、ここに来て批判とか懐疑的な意見や情報が出始めているというのが、特徴だなとニュースやWEBを見ながら感じています。印象としては、WEBで流れている情報は同情的なものはかなり減ってきていますね。むしろ、批判的な意見が多いというか。

重要なのは、タブー的だった、なぜこの時期に渡航し、また彼らに危険を回避するだけの能力があったのか?という意見が出ていると言うことだと思います。NGOの方々からも、一緒にしないで欲しいとか、彼らの行動に対する疑問の声が上がっています。確かに、人質は許せない犯行ですから、家族の心情もわかるなと思いつつ、錯綜する情報を紡ぎ出すと、どうも簡単には言い切れない一件だなと言うことを強く感じます。

仙台は満開のようだったので、盛岡も今週末は見頃でしょうか。週末は、できるだけ休みたいな。

ウッチャンナンチャンでかけだし映画監督特集とかで、インディーズの監督が映画について熱く語っていた。んー、微妙だった。

defferent timeline.

2 point.

Bus Stop

A man and a woman.

not corss two timeline.

プロジェクトのリーダと話していて、改めて感じたことは、今のままが観光資源になるんだと言うことである。つまり、観光目的で建物を造ったりしたところで、それが本当の意味で観光資源にはならないということである。また、今の時代においては、観光資源というものが、その土地の人間にとって非日常的なものであっては、実は観光資源としては成り立たないと言うこともいえる。その土地にすむ人たちの日常とつながっているものが、有効な観光資源になっていくのではないかと。ただの見せ物というのではなく、そこに息づくものこそ生き生きとした観光資源になっていくのではないだろうか。

それでは、形あるものは何もいじるなということかすると、それは違う。例えば、新規に資料館を建てるよりも、電柱を地下に埋め、街の景観を良くし、その資料館に閉じこめられそうだった街に潜む悠久の歴史を街の中に生き続けさせ、そこを人々が歩いて回る。街自体が資料館になっていくわけだ。戸ノ岡の時に、自分が言っていた街をスクリーンする計画につながっているのかもしれない。

他の地域に負けない観光資源を作っていくならば、日頃の街をよくしていかなければならない。街をよくしていくと言うことは、自分たちの生活を良いもの、濃いものにしていかなければならない。荒れいて犯罪多発な街には、ちょっと行きづらい。簡単に言うと、そういうことだよなと。

何でもない風景が観光資源になる。それには、その何でもない風景を作り出す豊かさが必要なのだと思う。一つ言えることは、何でもない風景には、お金をかけた立派な箱はいらない。

某先輩宅に男一味で押しかけ、がやがやした後、午後から恵比寿へ。キャパ展とインフォメーションアート展を見てくる。キャパ展は言うまでもなく、すごかったんだけど、報道カメラマンというのは技術云々というよりも、どこにいるかが問題なんだなと、彼が撮った歴史を見ているとそう思う。インフォメーションアート展は、どっカーンと来る作品はあまりなかった。その中でも、ふむふむと思わせてくれる作品もあった。

都内に戻る。
新宿まで出る予定だったので、試しにと、ロマンスカーに乗る。何がロマンスカーなのかは、さておいて、小田原の駅までの途中で、うまそうな桜餅を見つけて、それを食べながら新宿へと向かう。

新宿では、なんともすごい飲み会になる。ゼミナール東京な、盛岡インディーズ映画系(第1回盛岡自主制作映画祭の出品監督7名のうち6名がその場にいた)な飲み。岩渕は元気そうで何より。その他の今春より東京で暮らすメンバーも、まずは元気そうである。

東京は葉桜。箱根は咲いていたけど。

仕事で東京にゴー!

今回は、打ち上げ兼第2フェーズ会議ということで箱根に行くことに。

どこの宿に行くのだろうと思ったら、なんとパイプな某氏のリゾートマンションに。びっくり。
いろいろ話せておもろかった。

箱根は温泉地だなぁと思わせる謎なものが多くておもしろかった。彫刻の森があったのをすっかり忘れていて、着いてから気付いてがっくり。失敗した。

話は変わるのですが、プロジェクトのリーダーと話していて、岩手再発見をしたようながします。外から見ると、今感じていない良さを発見できるのかもしれない。

よくわからないが、しんどいなぁと体をいたわる。

とうとう、イラクで日本の民間人がテロに遭うことになった。政府の対応が気になるのは当然のことで、結構気にしなければならないのが、野党の対応であろう。共産党の志位氏は、自衛隊撤退!とまぁ、非現実的なことをまたおっしゃっているようで。もっと、現実的な対応策というのが必要なのではないかと。ネクストキャビネット(次期政権)を名乗る民主党のサイトによると対策本部を立てたみたい。社民党はWEBを見る限りでは動きがないようである。

言うのは優しだ。こういうときに、きちんと行動ができるかどうかを国民は見ておかなければならないと思う。口先の政治家なんてどうでもいい。重要なのは、体を張れる政治家が重要なのではないか。そういう意味では、捨て身の自民党山崎氏はおもしろいと思うが。家族会は批判の声を上げているが、永田町からの批判の声にはちょっとした嫉妬もあるのではないだろうか。議員バッチがない彼がアメリカ、北朝鮮と話し合いを持って動けたと言うことは、何を言わんとしているのだろうか。

内心、恐いというか、明日から東京だからね。テロでもあったら、たまったもんじゃないと思ってしまう。そう考えると、近い将来、テロによる疎開などと言うのが出てくるのかな。子どもの命だけはということになって、子どもを実家に預けて、地方で生活させると。んー、嫌な世の中だ。

昼飯を食べに行ったら、あえるというフリーペーパーをみつける。こういうのができたんだと思いながら見ていたんだけど、なんかデザイナがすでに枯渇しているというか、疲れていそうなデザイン。しんどいんだなぁと紙面から伝わってきた。って、それじゃダメじゃん、と思いながら、こういうフリーペーパーがもっと出てきて欲しいなと思う。

「溶け込む」というビジュアル表現形態。うーむ、気になる。