盛岡自主制作映画祭

映画祭にご来場頂いたみなさん、ありがとうございました。お陰様で、今年も成功の内に終了することが出来ました。今年は、300人強の動員となりました。

初代代表の岩渕も駆け付けることができ、また昨年度のスタッフで就職して盛岡を離れていたメンバーも駆け付けたりしてくれて、何となく会場は同窓会的な雰囲気もありつつ、楽しかったです。加えて、普段は顔を揃えないような他ジャンルのメンバーが集ったりと、いろんな人に会えて楽しかった。

映画祭立ち上げ時に考えていた、インディーズ映画というものにとらわれないで、地域の交流の場として成長していって欲しいという願いは、だんだん実現してきているのではないかと思います。今年も、自主制作映画祭の時期だな、あそこに行けば、誰かしらに会える、良い作品に出会える、そんな風に人々が集ってくれているのであれば、嬉しい限りです。

今年は、あまりスタッフとしてはコミットできなかったのですが、この映画祭、とても重要だなと感じています。来年度も開催できるようにと、いろいろと準備していかなければなりませぬ。もちろん、今年の映画祭の反省点は、多くあるわけで、これを如何にクリアしていくかということも大事だと思います。

しかし、盛岡から東京へと今日、移動したのですが、東京に着いてから、こんなに寂しいなぁと思ったのは初めてです。なんだか、切なくなっております。また、今日から東京での闘いが始まるわけですが、ここに自分がいる理由、そしてその後ろにあるストーリー。それを自分は、改めて噛みしめています。

めぐるもの

体調も戻りつつありまして、雪景色を眺めずに、仕事に励んでいます。久々に、サーバ周りをいじっているのですが、どうにもこうにもうまくいかない。なぜだぁーと、考えている次第。

スーパーカーが解散だそうです。思えば、高校の頃に好きになり、今に至るという感じだろうか。オリジナルアルバムは、全部持っております。前から、いずれは解散するんだろうなとは思っていたのですが、とうとうこの日を迎えたのかという感じです。考えてみると、好きなバンドが解散するというと、スパイラル・ライフぐらいだなぁ。今回のこういうことって、自分の中での音楽の流れのひとつが変わったというか、そういうことなのでしょうか。と、内向的に捉えてみる。

そんな中、スクイズメンというバンドを知る。スーパーカーをさらに叙情的にしたというか、フォーク性を持たせたというか。音とは巡るものであり、創作とは巡り合わせである。そんな感を今日一日で感じた。

ならば、Creative Commonsとは、何か。映像におけるCreative Commonsとは、何か。個人的には、そこに新しい映像表現があるような気がする。インターネットラジオの先にある、新しい映像の流通、そして在り方。あぁ、勉強が足りん。

明日は、盛岡自主制作映画祭【非公認】前夜祭。といっても、ほとんど、「アラカワ普段からお世話になっている方にダメだしされながら新年会」になりそうな感じなのですが…。でも、楽しみです。

人を育てるってことは

シネマストリートプロジェクトのKCのblogより。

盛岡商業に
行って来ました。今朝。話してみるといい人なのさ。

行った理由
高校生主催でチャリティライブを企画しております。
シネマストリートプロジェクトは後援です。
で、実行委員の高校生が県内の高校100校に
手書きの拙い文章とポスターを送ったらしい。
その内容があんまりだったらしく、クレームが主催実行委員が在校する
学校にクレームが殺到した。責任とか。
実的な所では、未成年による集金活動もあんまりよろしくないとのこと。

実行委員長を高校生から僕にすること 現場責任者も
喫煙、飲酒行為の防止
対外活動として 親、学校への周知、協力

の条件にて、快諾いただきました。

この話は、個人的にはすごい話だと思う。KCは、大したもんだと改めて感心。

世の中、無責任な大人が増えて、こういうことをしてくれる大人がいない。それが、結局の所、街の治安、産業がおかしくなっている原因じゃないかと考えていたので、いやー、あっぱれだと思う。

自分もそうなのだが、高校生、大学生の時は、これをやりたいというのを沸々と思っているのだが、その術を知らない。でも、やっぱりやりたいと思って、行動に出る。だけど、やっぱりあちらこちらにかなりの迷惑を掛ける。まぁ、学生だからと終わるのか、最後まで勝負するのか。そういうときに、まずはやってみなさいと言ってくれる大人がいるかどうかで、ぜんぜん違う。自分も、幾人もの、そういう方にお会いしてきた。でも、自分の近い歳でそういう方はいないなと感じていたのだが、この男は大したものだ。

僕は、腹黒いので、こういうことできません。

1月はひどい

すみません、また倒れました。倒れたというか、熱を出しまして、うなりました。

いやー、やっぱり年末からの疲れが取れずに、また休まずにいろいろとやっていたら、やっぱりきました。どうしようもないですねー。休むときに休まないと。

でも、友人の活躍を見たりすると、正直、焦ります(といっても、彼女は自分より年上だけど)。あぁ、ニット帽かぶって、布団の中でミーはこうしていて良いのだろうかと。

わかってます。勝負所は違うのです。焦ってはならない。勝負所は、今ではない。それをじっくり狙うことも、必要なのです。そのときまで、己を温存。鍛錬。

そういう意味では、自分の特異性とか、そういうのを最近、本当に探ったりしています。そして、そう思えば思うほど、自分は勉強が足りん。もっと、精進しなければと思う次第。といって、何が自分にとっての道なのかは、依然と不透明なのですが。この混沌とした前途に、恐らくきっと何かがあるんだろうなって。

よくわからないのだが、うちの親父が、滝沢村の村長が来ていた村商工会の新年会で、滝沢村にインキュベーションルームを作るべきですと直訴をしたらしい。切腹は命じられてはいないが、その話をわざわざ、自分にメールしてくるんだから、どうやら、蛙の子は蛙らしい。表現が悪いが、子の親にして、この子あり。

よく考えてみると、学生とか卒業者が気軽に使えるインキュベーションルームが滝沢村にないのはおかしい。なのに、学生が残らないと言っている滝沢村もおかしいと言っていたのは、自分だったりする。確かにそうなのだ。大学前に、研究所が建ったがここはある程度の資本を持っている企業が入るようなところで、僕ら若者がポンッと入れるようなところではない。開学して、今年で6年目を迎えるはずだと思うけれども、学内ベンチャーは2社程度のはず。同じ研究室で、県内に残っているのは二人だけ(同学年が十数人いる研究室だった)。そういう状況は、あまりよろしくないと思う。といっても、自分も住民票は、東京都だったりしますからね。

特殊な時期と思いたいけれども

訳ありでWindows + Premiereでビデオ編集。あぁ、ちゃんとリアルタイムレンダリングになっていないなとか思いつつも、意外とこのマシン使えるなと、夏に組み立てた自作PCに感心する。といっても、G5には及ばないが。サブマシンとしては、大丈夫かも。

ということで、Windowsの画面をMac風にするサイトを見ていたり。

盛岡自主制作映画祭のサイトも更新され、上映リストが発表された。今回も、面白そうなラインナップである。お昼に、河北新報の方から連絡があり、取材をしていただけそうだ。盛岡自主制作映画祭は、その動員数とか盛り上がり方が注目されている。個人的には、そういう中で今年は心配である。といっても、蓋を開けてみないとわからないのも、イベントごと。どうなることやら、楽しみにしておこう。

津波の衝撃が残る中、昨日は新潟、北海道と地震が立て続く。何やら怖さを感じる。天災が続くときというのは、地球の歴史の中、ほかにもあったのだろうか。それとも、今が特殊な時期なのか。

カキ

オフラインのミーティングがなければ、人間、どこにいても良いな、と思う今日この頃。

今日はずーと、プロジェクトマネージメントとか、最良のデザイン環境とは何かとか、そんなことを考えながら、電車に揺られていた。

ノロウィルス騒動でカキなどが売れていないらしい。でも、三陸は宮古のカキは一個100円。安いのにうまい!カレイも買って煮付ける。いやー、うまかった。

今週末の盛岡自主制作映画祭の上映プログラムが入れ替わり、「ピボット」は後半のBプログラムで上映されることになった。といっても、世にほとんど上映プログラムの情報が流れていないのは問題だと思うのだが。未だに、映画祭のサイトが更新されていないことで、自分のところに結構問い合わせが来る。大変申し訳ない。このことに関しては、自分はかなり問題だと思っている。

妄想は叶う

先日のワークショップネタには、いろいろと反応を頂きました。ありがとうございます。本当に、実現するべきことかもしれないと、思い始めています。もっと、躍らせてください。躍りますので。

年末に、スノーメールが一段落してから、とあることを妄想していたのですが、その妄想が叶いそうな感じです。次の創作活動の展開についての妄想なのですが。

友人が「願えば叶う」と言っていました。同じく、妄想も叶うのです。強く、これをやりたいと思い、行動していれば、何かが動き出す。きっと、そうなんだろうなと。

昨日は、FACEの新年会で、ひさびさに大酒を食らいました。二日酔いで頭が痛いけど、いやー楽しかったです。東京でも、いい人たちに囲まれているなぁと感謝。さぁ、ここから自分は何を作り出して、世に出せるか!これが、今、自分に求められていることですね。

妄想機関車は、今日も雪原を走る。

建物リデザインワークショップ

盛岡絶賛系の掲示板を見ていたら、沢野さんの書き込みで「アサヒ・アート・フェスティバル2005」というのがあるのを知る。公募制でアートNPOからのイベント企画を募り、最大100万円の助成を出すというものである。

こういうのを考えるの、結構大好きなので、何かあるかなぁと考える。

まずは、盛岡自主制作映画祭か、と思ったが、新規性が無いなと思い、別なのをと考える。その中で、思いついたのが、青山Rプロジェクトネタの延長線上にあるネタ。

もともとは、盛岡にある公共施設が古い建物を残して、新築になるという噂を聞いた。その古い建物をどう活用しようか?とあるところで考えられているらしい。

建物をどう再利用するか。その話を聞きながら、こういった問題をさまざまな分野の若手のクリエイターが集結して、ワークショップ的に考え、それを提案するというのは、どうだろうかということを考えた。

つまり、ひとつの建物をメディアとして、若手のクリエイターたちが集い、自分たちが描く新しいデザインをつくり出すというものである。

建物自体をどのように生まれ変わらせるかという問題もあると思うし、その中にどんなインテリアを置こうか、どんなグラフィックで案内を作ろうか、BGMはどんなのが考えられるか、またこの建物をコンセピチュアルに表現する映像は何か、その空間におけるオブジェ、インタラクティブなものは何か?そして、この建物が盛岡の街づくりの中でどういう存在になるか?そういうことをデザインする長期的なワークショップを行う。最終的には、これらを提案としてまとめて、展覧会やWEB等で発表すると。一番は、その提案を元にして、その建物が新しくなるのが一番なんだけどね。

こういうワークショップは意義があると思う。まず、現実的な問題を解決するデザインを身に付ける実践的な場になる。また、異業種のクリエイターが集まり、コラボレーションしてひとつのものを作り上げていくという経験を積むというのも、今後の実務を考えるととても重要なことだと思う。

無論、若手は無知である。ゲスト講師をお呼びして、さまざまなテーマごとに、お話を頂き、いろいろとアドバイスをもらっていくということもしたいなと思う。クリエイタ同士で切磋琢磨するというのも大事だが、先駆者の方から、こういう場で学んでいくということも大事。

なぜ、建物なのか?それは、建物というものがさまざまなデザインのコンプレックス(複合体)になりうるということと同時に、メディア、場でもある。そのため、さまざまなクリエイターが集結してコラボレーションする可能性がある。これからは、こういった総合力も求められる時代であると思うし、それぞれの専門性も試される時代である。また、建物は「街」を意識せざるを得ない人工物である。たとえば、映像を作ったり、本を作ったり、雑貨を作るときには、あまり街づくりを考えなくても良いが、建物に関しては、嫌でも考えなくてはいけない。

クリエイティブにおいて、最大のものは教育であり、続いて街であると思う。街という意味合いには、広域的な住居スペースという概念を含んでいる。大きく考えると、国家というのも入ってくるだろう。つくり手は、いつもそういうことを頭にイメージしながら、何かをつくっていかなければならないと思う。そういう大きなところから考えても、こういうワークショップは重要だと思う。

と、書いてみたが、さてさてこれを実現するのは、それなりに大変だろうなぁ。でも、おもしろそうだなぁ。どうしましょうね。

また、余計なことを考えてしまった。書いてしまった。

初東大

丸の内のミーティングの後、竹村先生がPhotowalkerなるものを見に行くとことなので、お供することに。てっきり自分は、どこかの事務所を訪ねに行くのかと思っていたのだけども、行き着いた場所は東大の先端技術研究所。おぉ、東大と、お上りというか、ただのミーハーというか、そんな感じになっていました。お邪魔した建物は、最近建ったような新しめの建物なんだけども、その周りは古い建物ばかり。趣があって良いなぁと眺める。

で、その場に行くと、どうも研究会だったらしく…。渡辺保史さんがいらっしゃった。あとから、WEBでその研究会のことを検索すると、あれま、こんな所にお邪魔して、コメントしていて良かったのかと、後から焦る。

でも、大学以来、こういう知的な場に行くことはあまりなかったので、とても楽しかった。脳みそがフル回転でそのことをじぃーと考える時間というか。こういうときに思うのが、自分はどうもこういうところで喜びを感じる人間なんだなと言うこと。

事務所に戻ってから、ぱらぱらとデザイン系の雑誌をめくりながら、興奮するデザインワークとは何かと考えつつ、作業している自分がアドレナリンが大放出みたいな仕事をどんどんしていきたいなと思う。

帰ってから、キムチ鍋に挑戦してみる。誰かに披露する前に、自分で実験しようとコチュジャンを買って、鍋の素を使わなくてもキムチ鍋をつくれるようにチャレンジ。見事に成功。素を使うよりもマイルドな味で良かった。ポイントは、味噌だなと。味噌に思いを馳せる。