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感覚体験をもたらすインタフェースをもった「まち」

コメントを頂いていたのに、こちらもレスポンスが遅くなり、申し訳ないです。

:: katomaxblog ::

「ハード重視のイメージが強かった「街づくり」から,風景・佇まい・人々の関係や表情・参加活動などをふくむ「まちづくり」というひらがな表記へと,地域形成の発想が転換し,

なるほど。個人的な解釈では、ここにおそらく「感覚」的な、もっと人間のもつ感性を刺激する、人間本来のあり方を求めることができる有り様をもたらす場が「まち」なのかなと思う。

ここで大事なのは,生活者の主体的関与と内的豊かさだと思います。

感覚体験をいかに持つことができるか。これが、ひとの豊かさを左右するのではないかと思う。コンクリートな街には、この感覚体験をもたらす仕掛けが、あまりにも少なすぎる。

なぜ、自然が豊かであることが良いのか。または、自然の中に包含された都市がすばらしいのか。それは、感覚体験を、そこに住む人たちもたらしてくれるからだと思う。自分が、現在取り組んでいるのは、この感覚体験を、いかに都市の中に埋設していくかということなのかもしれない。いわゆる、ELP的に言うセンスウェア、アンビエントファニチャーですな。

前に、なぜ盛岡に、大きなビルを建ててはいけないかと申したことがあった。それは、季節を感じることができる山を見ることができなくなるから、その眺望を失わせてはいけないということである。その眺望と、山と住民の関係性が重要であり、そこに感覚体験をもたらすインタフェースがあるのである。

古い建物は、全部残すべきか、最近そんなことを議論したことがあった。一つ、その基準として、自分が掲げられる基準とすれば、その建物に感覚体験をもたらすインタフェースがあるかどうかかもしれない。

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