人の話によると、今年の夏は、平成最後の夏になるらしい。確かに、来年、元号が変わるらしいので、今年の夏は、「最後」平成の夏だ。

最後と付くと、とても切なく、センチメンタルになる。高校生「最後」の夏。学生「最後」の夏。そう書かれると、何かドラマティックな、映画的なことまでも、期待してしまう。
いつも間違いなくやってくると思っている、当たり前のようなことに、「最後」が付くと、とても貴重なひと時に思われるものだ。

そんな夏を娘たちとどう過ごそうかと考える。はて、この子たちと過ごす「最後」の夏は、いつなのかと、思ってしまう。
まぁ、大学進学で親里を離れるとして、18歳までは家にいると考えると、長女は6歳だから、今年を入れてあと13回。とはいえ、部活だの、受験だのとなれば、実質は、10、11回程度かもしれない。

最小値を取れば、今年は、娘との「残り10回」の夏(休み)なのだなと。まだまだ、来年もあると思っていたが、この夏を過ぎると、残り9回、8回…カウントダウンが始まっている。

何かと、これは、昭和最後の…と付けてみると、日常にありふれたことが、また違うように思えてくるかもしれない。

ぼやぼやと考えながら歩く。
遠くの建物が目に入っていくる。

確かに、その建築はリアルな物質で、近づいて触れることは出来るが、
高い屋根や高所の壁には触れることは出来ない。
建築中に、作業員が触ったぐらいで、その後、我々人類はほぼ触ることが出来ない。
それこそ、近づいたら、高層階の形を見上げても、きちんと見ることは難しい。
手に触れることが出来ない場所までわざわざ離れて、改めて認識しなければならない。

さて、何をぼやぼや考えていたのだったか。

今、見ている風景は、本当に「現実のもの」なのか、ということを不意に思ってしまったのだった。

我々が裸眼(もしくは矯正するレンズを通して)で見ているものが、
「現実」「リアル」と言えるのだろうか。
角膜に、何かを投影できる技術のニュースを見て、そんなことを考えてしまったのだった。
裸眼で見たものが間違いなく「現実」であるという定義が薄れてしまい、
「現実」を疑念無く信じることは難しくなるのでは無いか、と。

そもそも、人にとって「見る」と言うこと自体には、意味が無い。
「見た」という、認識の方が大切である。
「見る」→「解釈」→「見た」となり、我々は、視覚情報に意味を付ける。

定量的な意味だけではなく、
その人が今持っている感情によっても、ものの見え方は違ってくる。
「見る」ということは「見た」というランダムアクセスできる記憶に落とし込まれたときに、
その存在性を持つことが出来るのだ。
「見え方」はリアルタイムに、どうということだけではない、
我々が「見る」と思い込んでいるのは、その記憶のバッファの先頭を優先的にアクセスしている状態を
指し示しているのだろう。

つまり、我々は、常に脳内レンダリングを繰り返しながら、
生で入ってきている視覚情報を言わば歪めて、ストアしているのである。

と、考えると、
遠くに見える、確か、現実にあるであろう建築物は、
果たして現実に、リアルに存在しているものなのだろうか。

自分が見えている姿は、自分の視覚システムだけが捉えている姿であって、
隣の人には別な姿に見えているかもしれない。
つまり、パーソナライズされている視覚情報(記憶)による姿かもしれない。

建築は確かに、人や資産を覆い包むという機能を持っているが、
都市に存在するメディア・何かを投影するオブジェクトとして存在していて、
不動なフォルムを持つモノではなくなっているのかもしれない。
確固たる存在は、その機能という要素であり、その形は確固たる、絶対的なものではなくなっているかもしれない。

裸眼の前にディスプレイがあるかどうか、
ということではなく、脳も包含する視覚システムの中で、
何が見えているのかが、重要になってきているとも言える。
(つまり、光の現象を捉えていると言うよりも、機能と存在を捉えているだけで、光が織りなす形は後付けかもしれないのだ)

そう、いくつかの疑念を持つと、
今自分が見えている風景を、我々が素直に疑いも無く言う「現実」だとは言い切れなくなっているのではないだろうか。

最近のメディアアートでは、インターネットを直球で扱った作品は影を潜めている。
自分が学生、そして卒業して直ぐぐらいは、「ネットを表現」すると言うことに、
多くのメディアアーティストが挑んでいたような気がする。
インターネットを扱った作品は、確かに、あのとき、輝いていた。
そして、キラキラしていた。
自分自身も、ネットで何かやると言うことに憧れ、惹かれていた。

しかしながら、ネットが普及し、
インターネットという言葉がWEBと同意語になり、
「ネット」がSNSを表す言葉になり始めたとき、
インターネット自体に、新規性は無く、「旬」を求めることは出来なくなっていったのかもしれない。

なぜならば、インターネットがインフラになったからだ。
水道管や下水管に、きらめき感を感じない様に、
インターネット自体には、キラキラは無い。

その後、SNSやTwitterの台頭に呼応する様に、
その「つながり感」を表現した、もしくは批評した作品たちが生まれてくるわけだが、
インターネット初期のきらめき感を取り戻せず、今に至る。

何が変わったのだろうか。

昔を懐かしむ話に終わらせてはよくないのだが、その昔、キラキラして、
我々を物理的な制約から解放し繋げてくれ、知らない新しい価値観の世界に連れて行ってくれそうだったネット。
インターネットが(情報)「革命」を起こし、
我々に「自由」をもたらすという、ジャンヌ・ダルクの旗印ごとくだった。
しかしながら、ネットは、今や、つながることで、制約を生んだり、息苦しさを感じさせるという、
どこかネガティブな存在になってしまった。

我々は、インターネットに幻滅し、そこに終わるのだろうか。
今、アートでインターネット的を扱うとき、そこがテーマなのかもしれない。

例えば、世界のすべての今を記録できるとしたら、コード化できるとしたら、どういう状態になるのだろう。その場合、どの点においても、nullは存在しないだろうから、無駄ということがなくなる。改めて、世界には無駄なことが一つも無いと証明できるのだろうか。

久しぶりの体験をする。これを繰り返すしかない。

みうらじゅんといとうせいこうのラジオを聞いていたら、二人ともデビュー作は、1年余りそれぞれお蔵になっていたそうだ。お互いに紆余曲折がありデビューすることになったそうだが、あまりにも最先「端」過ぎて、最初はわかってもらえないものだと、二人はぼやく。

MJ曰く、端だと一人しかいないから、つまり自分しかいないから、わかってもらえないと。最先「場」ぐらいになると、理解者が出てきて、陽の目を見ることになる。いわゆる、アーリーアダプター層の獲得目前の段階だろうか。彼らは、編集者の目利き次第で本当に変わると言っていた。

自分が面白いと思ったことを本当に理解してもらうには、時間を要する。その時が来るまで腐らずに、それを面白いと思い、付き合い続けることなのだろう。個人的には、10年経ちまして…、結構あるなぁと思っている。だいたい、みんながすんなりとわかるものは、もう既にあるもので、新規性という意味では、大したことがないものなのかもしれない。

次は、それを考えながら、末長く付き合ってみよう。

お仕事、落ち着いたんですね、と会った人に言われる。大してその方には、普段の仕事のお話などはしたことがないので、はて?と思うが、先月末までの緊張感というか、張っているものが無くなって、落ち着いてらっしゃると。

確かに、自分でも、人への挨拶の仕方とか、話し方がこれまでとは変わって、ちょっと柔らかくなったなと思うことが多い。やはり、何か硬いものがほぐれ落ちたのだろうか。そういったものは、妙なところに現れて、意外とわかりやすいものなのかもしれない。

きっと、自分が悪いのだろうと思い込んでいたことが、そうではないとわかり始めると、なんと気が楽なことか。一方で、そう思いつめていたのはなんだったかなぁと、認めたくはないが、認めて自らを肯定してあげて、奮起しなければと思うことも多い。

凝りに凝った頭をじわじわとほぐしていかなければ。

危なくDBのデータを喪失するところで、焦りと喪失感に体がう出されたのだが、何とか、復旧できることになり一安心。しかしながら、データの価値を再実感。一方で、まぁ、しょうがないかと、自分を必死に諦めせようとしていた自分もいるわけで、本当に、データは必要だったのかと、騒動の後に、考える。

bitとatom。atom(物)化された後の存在感が圧倒的だとしたら、bitの存在感は何だろうか。意識の中における感覚ですらしかないのか。

大先輩の先駆を行く方とお話する。先駆の文字のごとく、本当に、先を走る、駆けている方なので、お話を楽しみにしていたのだが、本当に刺激的なお話を伺えた。

自分を奮い起させてくれた言葉は、「世間をざわつかせたい」というプリミティブな想いだった。あぁ、その感じ、本当に忘れていたなと思った。「自分が」世間をざわつかせる…。そうだった、そうだったと、顧みる。

そして、アメリカに渡り、起業を決心する時のエピソードも。どこに行っても「お前は何者だ?」と尋ねられ、どこの誰かが問題ではなく、自分自身が何ができるかが求められると。実に自分が、悩み、向き合っているところである。クリエイター、経営者の価値は、そこにあるのだと、痛感する。

お話を伺って、何とも気持ちいい。他にも、色々となるほど…と感心させられるお話が多かったのだが、この2点が、自分の中に、タイムリーに対峙している事柄だった。

まぁ、大体、自分のやりたいこと、好きなことは変わっていないな。

花筏を見に行こうと、例年通り、仙台堀川へ。ところが、すでに花びらたちは、大川へ流れていったようで、今年は花筏は堪能できなかった。結局、伊勢屋さんの団子に舌鼓を打ちつつ、清澄、高橋、森下を散策して、帰宅。この一年で、この界隈も街並みが少々変わったようだ。

自分のクリエイティブの理想と現実を行き来しつつ、自分には何ができるのだろうと、自問自答と周りの皆様からの叱咤激励を頂戴する日々である。とはいえ、面白いことに、肯定せざるを得ないぐらいの皆様からの共通のご意見を伺いながら、自分の不甲斐なさを痛感しつつも、ギリギリのタイミングでの英断は本当に良かったのだなと改めて思う。

大河は、海に注ぎ込むまでに、右往に左往に曲がりくねるが、引いて見れば、その進路は、海へ確実に向かっている。

諸事情で、開発環境を新しいMBPに移し始めた。これまた、諸事情で、データ移行もTimeMachineから一気にではなくて、手作業で必要なところだけ移している。さすがに、5年近く使っていた旧マシンなので、あれもこれもできるように蓄積された開発環境を移すのは容易ではない。まずは、新マシンで開発しながら、足りないものを順次インストールしたり、移していく形になりそうだ。

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