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2006.03.25

ブルース・ヒューバナー

IMC☆風の便り 春のコンサートたくさんです!!

●尺八のブルース・ヒューバナー ミニライブ。   *3月24日  日詰 @権三ホール 19:00~   *3月25日  盛岡 太田 @けたる 15:00~   *3月26日  盛岡 グランドホテル 11:00~

●CANDELA DUO 盛岡ライブ  
   *4月21日  @おでって カフェテリアノード
    19:00~ 4000円 (お飲み物お食事つき)
  (*3月22日生協文化鑑賞会 クオレ定例会ゲスト)

●ブルース&カーティス 和の響
  *6月17日 @盛岡南昌荘 大広間 ¥3,500

ブルースさんのライブが、目白押し。尺八ということで、好き嫌いはあるのかもしれませんが、音に求めるべき繊細さを共有できる方はぜひ足を運んでいただきたい。

このところ、「国家の品格」がベストセラーになったりして、その、いわゆる日本という国が持っている文化的、社会的資産を見直そうという運動が盛り上がっている訳ですが、彼らが否定するGHQ政策においても、実は、そこに居た外国人たちが、廃れそうに、または消去されようとした日本文化を日本の視点で、または彼らの文化の視点で見つめ直して、守ろうとしたという歴史のポイントがあります。ブルースさんという人物がアメリカ人でありながらも、尺八を愛し、日本の音楽文化を誰よりも愛し、それをハッピーに伝えてくれているということは、日本にとって、それはとても幸いなことではないかと、是思う。それと、同時に、日本人として、母国の文化というのをきちんと認識できているのか、その大きな問題が横わたっているような気がする。むろん、それが「問題」であるのか、認識するための「過程」であるのかということは、個々の問題ではあるのかもしれないが。


最近の悩み事。盛岡・岩手・北のデザインソースに関する話題を、いかに伝えていくかということ。この場所では、限界を感じていまして、なんかできないかなぁ。あぁ、勝手にドメイン取得の触手が…。

てくてくmap@盛南

盛南ストリート てくてくmapをダウンロード

ようやく、テクテクmapのpdfを、オフィシャルサイトにアップしました。 下記でpdfファイルがダウンロードできます。

かなり前にトラックバックでお知らせを頂いたのですが、レスが遅れました
。ご連絡、ありがとうございます。

県立美術館以南の再開発地区である盛南地区における情報を掲載している「てくてくマップ」。あぁ、こういう風に、街が出来上がっていくのかだとか、新しい街を構想するときは、こういった流れが起きるのか、というのを感じることができる。

だいたい、こういうのを作るときって、なんだか、固いものになりがちなのだが、暖かみのあるデザインと親しみのある言葉が、そういったものを感じさせない。そう言えば、自分の友人にも、役所関係の仕事に携わるデザイナがいるのだが、彼も、そう言った固いもの、つまり、書類的なものではなくて、人に伝えることに重点を置いたデザイン物にいかに転換することに、エネルギーを注いでいるような印象がある。

昨日、スズカンさんの話を聞きながら、そうか、WEB2.0な時代というのは、行政や国家のあり方も変わっていくのかと、改めて感じさせられた。そう言う中で、デザイナが持つ職能とは何か?

それはおそらく、様々に発信されるべき情報を理解し、それを良い形で世の中に伝えていくための道筋を、多くの人と共に作っていくことなのかもしれない。深沢直人さんが、自分はクライアントに星座を教えているのだと語っていた、いくつもある要素を組み合わせると、漆黒の夜空に星空が浮かび上がる。それが、デザインの形なのだと。

WEB2.0という時代、いやシナクティブな時代というのは、いくつもの夜空に浮かび上がる瞬きを、つまり僕ら個人というかけがえのない知性と生命のノードを、天の川のようにリンクさせ、一つの形を作る。そこにある形を求めるデザインというのが重要なのかもしれない。しかし、それは「一つの形」ではない。

そんなこんなを考えつつ、手に取るフリーペーパーというのが、良い形であるということが、なんと素敵なことか。

街における情報デザイン。あぁ、脳みそがうずくぞ。

思ったのが、こういうネタを集めるのが、「North Design」というサイトだと良いかなと。

感覚体験をもたらすインタフェースをもった「まち」

コメントを頂いていたのに、こちらもレスポンスが遅くなり、申し訳ないです。

:: katomaxblog ::

「ハード重視のイメージが強かった「街づくり」から,風景・佇まい・人々の関係や表情・参加活動などをふくむ「まちづくり」というひらがな表記へと,地域形成の発想が転換し,

なるほど。個人的な解釈では、ここにおそらく「感覚」的な、もっと人間のもつ感性を刺激する、人間本来のあり方を求めることができる有り様をもたらす場が「まち」なのかなと思う。

ここで大事なのは,生活者の主体的関与と内的豊かさだと思います。

感覚体験をいかに持つことができるか。これが、ひとの豊かさを左右するのではないかと思う。コンクリートな街には、この感覚体験をもたらす仕掛けが、あまりにも少なすぎる。

なぜ、自然が豊かであることが良いのか。または、自然の中に包含された都市がすばらしいのか。それは、感覚体験を、そこに住む人たちもたらしてくれるからだと思う。自分が、現在取り組んでいるのは、この感覚体験を、いかに都市の中に埋設していくかということなのかもしれない。いわゆる、ELP的に言うセンスウェア、アンビエントファニチャーですな。

前に、なぜ盛岡に、大きなビルを建ててはいけないかと申したことがあった。それは、季節を感じることができる山を見ることができなくなるから、その眺望を失わせてはいけないということである。その眺望と、山と住民の関係性が重要であり、そこに感覚体験をもたらすインタフェースがあるのである。

古い建物は、全部残すべきか、最近そんなことを議論したことがあった。一つ、その基準として、自分が掲げられる基準とすれば、その建物に感覚体験をもたらすインタフェースがあるかどうかかもしれない。

載ってた

-edなこと: 2006年03月23日

昨年、制作に参加したユビキターブルがGQ Japanに掲載されているらしい。まだ見ていないが。

早速、本屋に行ってきた。載っていた。それも巻頭の方。表紙は、古田監督です。

WEB2.0的なツールとして紹介して頂いているようです。と言っても、個人的には、技術的なWEB2.0的な話はどうでも良くなっていて、社会をどう変革させていくか、そこに興味関心がある。