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裸の王様建築

流れる雲を友に: 第31回盛岡市都市景観シンポジウム

駅周辺は「盛岡の顔」である。アイーナが西南地区(県立美術館やイオン南の周辺)に建ったのならかまわないが、あれではリトルさいたまと揶揄、苦笑されても仕方がない(関連して盛岡タイムスの記事をご参照ください)。

ちなみに、ぼくの周辺、知人たちで「アイーナは素晴らしい」、あるいは「誇れる施設」と明言する人はいない。逆に「恥ずかしい」とか「お荷物」という人のほうが圧倒的だ。

アイーナは「建物単体の個性」としては優れているかもしれないが、盛岡(あるいは岩手)の個性に寄与しているかというと、大いに疑問だ。

近所の商店街のお店が、店を畳み、一戸建てを路面に建てている。それも、ヨーロッパ風の趣の住宅。恐らく大手ハウスメーカーが提案する流行のスタイルなのだろう。世田谷あたりならともかく、深川ではいかがなものかと思っていたところ、こんなエントリーが。

建築とは、その周辺との調和が大切であると思う。建造物は、そこに単独して存在しているわけではなく、多くの外的環境との関係性の中で存在している。外壁と、その形状はインタラクティブな関係性を持ったインタフェースである。

「アイーナ」は、プチ埼玉と言うよりは、仙台メディアテークの焼き直しの作品というのが良い言い方じゃないかな。岩手山を望む盆地の盛岡に、あんなにガラス面を作って、冬の暖房費はどうなるのでしょうか?というのが自分の最初の感想だった。

「文化」という意味では、

アイーナは「建物単体の個性」としては優れているかもしれないが、盛岡(あるいは岩手)の個性に寄与しているかというと、大いに疑問だ。

というのがごもっともな指摘。あれが、盛岡なのか、岩手なのか、というとそこに疑問を感じる。これは建築家の責任もあるが、プレゼン時の選考基準はどこにあったのか気になるところ。まさか、随意契約じゃないですよね?と突っ込みたくなるが、これから、地域性、周辺との調和性というのを強く考慮していくべきだ。

自分が好きな日本人建築家の伊藤豊雄、隈研吾の2氏は、そういった周辺との関係性を意識した建築を手がけている。伊藤豊雄は、仙台メディアテークで有名になった建築家だが、その後建築を自分は重要視している。例えば、建築の周りを囲む山の形状から生まれる気流を解析し、その気流の形状から屋根の形状を決める。その為、周りの山々に囲まれた美しい曲面の形状が生まれている。隈研吾は、負ける建築を標榜し、外からはどこに建物があるかわからないような建築を生み出す人だ。例えば、山の上に展望台を作るのではなく、山頂を残し、山頂の地下に展望室を作るなど。また、彼は建築に使う素材や技術を地元のものを使うことでも評価できる。漆喰の土は地元のものを、設えに使われる技術は地元の職人と共同開発するなど。

ガラスとコンクリートによる建築も、そろそろ考え直さなければならない。先日、地球大学にいらした講師が話していた事例で、木造建築で鉄筋コンクリートの半分のコストにより高層建築を作ったというものがあった。木造だから高い、脆いという発想ではなく。地方の木材資源と予算を考えると、「現代の高度な技術」を用いた木造建築の方が良いのではないかと。無論、その後の建築から人に与える暖かさを考えても。コンクリート建築だって、寿命30年とか言われる時代だ。木材がとりわけ脆いというわけではない。岩手の木材、間伐材を使った素晴らしい建築が登場したって良いじゃないか。前に、訪れた二戸の木造の施設は素晴らしいものだった。温もりがあり、優しい建物だった。


ということを、悶々モンチッチと考えています。年末年始は、こんなネタを肴にパーティを。

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