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2006.07.04

[North Design] 地方ブランドを構築するの誰だ

時折、盛岡ブランドの話に触れたり、ちょうど新宿で盛岡ブランドのイベントを行っているわけだが、そんな中、良い切り口のエントリーをご紹介。

きれいごとだよな、やっぱり|渋谷ではたらく女社長~私が世界を変えていく!

「これからは地域の時代だ」 「農業をもっと見直せ」というような 実は同じような話は、30年前からあちこちで言われていて、 その割りにはちっとも進展しない、どころか、 だんだんエスカレートして悪い方向に向かっている。 いったい、この先どうなっちゃうのか。 シンポジウムでは、 「地域ブランドづくりが必要だ」と言う人がいた。

でも、東京にはおいしいものも、おいしいものを作るプロデューサーもシェフもいる。
田舎で、お母さんたちががんばったくらいで太刀打ちできるものができるのだろうか。

確かに、それぞれの長所はあるとは言え、田舎のおばちゃんたちが、ブランド構築、そしてそのブランドを伝播させて行くという点において、東京のプロたちには及ばない。これは、しっかり認めるべきところである。地方から発信すれば、認められるという幻想が立ち込めている昨今、これははっきりすべきところである。

しかしながら、この両者が手を結んだときに、大きなものが生まれる。自分は、そこに可能性を感じる。この素材を使って、あのデザイナに作らせたら、どんなものが生まれるだろうか。化学反応である。

地方ブランドの構築、いや、この乱立の世に迎えるときにおいて、重要なのは、都市のノウハウと地方の魅力ある逸材をいかに、結び合わせるかではないだろうか。そう、橋渡し役、これが重要になってくるのではないか。

しかし、その橋渡し、地方と中央を横断する人材が不足している。その二者には、大きな隔たりがある。

「北のデザイン」において、この橋渡し役をどのように発掘し、養成していくか、大きな課題になりそうだ。

最後にひとつ、橋は橋として存在しているわけではない。その上には、人も通り、物も通るが、それだけではない。知恵も通る。橋を作るということは、そういうことにもつながるのだ。もちろん、どの方向に通るかは、定まらないが。

ものづくり

ケンカ中の部屋に来る友人ほど、同情するものはない。


このところ、仕事のことに関しては頑固になりつつある。芯が据わってきたのか、それとも頑なになったのか。あまり良い表現ではないが、自分以外のことで絶望することが多いのだと思う。望むが絶たれる瞬間が多いほど、自分の判断を強く求めるようになってしまう。

と、書くがおそらく、数ヵ月後には、これを書いていることすら戯れに思えてくるのだろうか。


「物」と「もの」とでは、違う。そう、高校のときの倫理の先生から教わったときに、感銘を受けたことがある。自分は最近、自然と、自分の肩書きを名乗るときに「ものづくり」ですと、言うことが多い。これには、二つ理由があるように思っている。

ひとつに、自分の職能が、デザイナ、エンジニア、プログラマという領域に捉えきられないものであって、どれをとっても、自分を表現するのに不足があるからだ。立場的に、クリエイティブディレクタという表現をしていただくこともあるが、それもすべてを表していないのかもしれない。でも、自分は「もの」をつくっていることは、ゆるぎないことである。

二つ目に、その「もの」が物質的なものであるか、インターネット上に存在するヴァーチャルなものか、曖昧であるからだ。あるときは、筐体物をつくっているし、あるときはインターネット上に存在するサービス、例えばWEBをつくっている。「物」なのか「もの」なのか、そのとき、そのときで変わっていく。ならば、すべてを包含して、ものをつくるということを掲げて、そこからの分岐として「物」や「もの」があるということになるとすれば、自分は「ものづくり」などと思う。これには、「ものづくり」の先輩たちに対する尊敬の念もある。

「ものづくり」と言われたら、シンプルに「ものをつくっている」人ですね、と思ってもらえるのではないかという期待感があるのかもしれない。同時に、その先を読んでいる人ならば、これからの時代の「もの」というのを捉えている人というように思ってももらえるかもしれない、そんな期待もある。

ものをつくるということは、ものを考えるところから始まり、ものに触れるところから始まる。そう、叡智の接点であり、自然への接点である。


昨日だったから、自分が最終的に行き着きたいところはどこかと考えていたら、それは単に、北の地に、世界屈指のデザイン教育機関をつくることだった。もちろん、自分の工房も持ちたいが、基本は自分の次の、次の世代を育てる場を作りたいということだった。これは、高校時代からぶれていないことなので、何か特に事情がなければ、遂行したい。と、思った次第。

日本という国をミクロに見つめれば、東北は冷遇されてきた。それを変えるのは、「ものづくり」、今風に言えばデザインの力ではないだろうか。自分は、そう思っている。


企画準備を進めていた案件が流れたり、延期になりそうだ。他にもやることは多いので、息継ぎができるかなと思うのだが、それはそれで、ちょっと残念。