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2006.05.16

[ND]町家が盛岡のブランドへ

盛岡タイムス Web News

歴史的なたたずまいが残る鉈屋町かいわい。魅力的なまちづくりに向け、市と市民が一体となった取り組みが期待される 歴史的なたたずまいが残る鉈屋町かいわい。魅力的なまちづくりに向け、市と市民が一体となった取り組みが期待される   町家、商家など歴史的建造物や街並みを調査し、保存活用計画をまとめる盛岡市の企画が、国土交通省の助成事業「都市観光の推進による地域づくり支援調査事業」に内定した。今月中にも正式決定する見通しで事業費として250万円が助成される。市は盛岡ブランドの一つに「まちなみ景観づくり」を掲げ、歴史的な街並みを生かすプロジェクトを推進中。市民グループなどと一体となった取り組みに弾みがつきそうだ。

ご存知の方も多いと思うが、盛岡市の町家を中心とした町並み保存・作りが、国土交通省の助成事業の内定を受けたそうだ。関係者、特にも「盛岡まち並み塾」のの長年の活動が評価されたものであろう。


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昨年、まち並み塾が催すイベントに参加して、盛岡の町家の中に入って、そのすばらしを体験した。建物自体もすばらしいが、その機能性にも感服するものがある。今で言うサステナビリティというものがある。


さて、NorthDesign的な話をすると、町家というのは、京都を始め様々な場所に建てられてきた。しかし、そのすべてが同じ造りになっているわけは無いはず。恐らく、その土地によって特徴があるのでは?と個人的に想像しているのだが、どうなのだろうか?北国だからの構造、設えなどがあるのではないだろうか?もしかすると、そこにきっと、現代の北国における建築へのヒントがあるような気もする。

町家に、自分のスタジオをつくる日の夢を見て、今日もデザイン道を精進いたします。

[ND]ガードレールの木製カバー

盛岡タイムスのサイトを見ていたら、こんな記事も発見。

盛岡タイムス Web News

  北光コンサル(本社・盛岡市南仙北2丁目3の35、谷上敏夫代表取締役社長)は9日、同社が開発した木製ガードレールカバーを滝沢村鵜飼地内の村道に設置した。路線は国の無形民俗文化財チャグチャグ馬コの通り道に当たっている。   同社が開発した「間伐材を用いた既設ガードレール等の景観工法」は、間伐材を利用した木製カバー(標準長1メートル)を既存のガードレールに取り付け景観を向上させるもの。景観性を高めながら森林資源の有効活用の促進にも資する。

金属製のガードレールは、確かに無機質で殺風景な雰囲気を漂わせている。あれが木の美しい色に包まれたら、大きく印象が変わるはず。これもまた、景観をデザインするツールになると思われる。今こそ、効率主義で失われた風景を取り戻すべき。

[ND]盛岡・岩手のRSS

盛岡タイムスの5月の記事を見ているだけでも、かなりデザイン的なネタが多い。しかしながら、盛岡・岩手の多くのメディアはRSSを配信していない。そのため、見過ごすことが多い。

ということで、盛岡・岩手RSSって、どうでしょう?Google Newsみたいに、各社のWEBサイトをクロールし、自動編集。情報系の学部生の演習には持って来いだと思うが…。

六ヶ所、アイヌ、縄文

私の周りでも、六ヶ所の問題に関してセンシティブな人たちが多いと思うが、教授のBlogに、辻さんから教授へのメールが引用掲載されている。

六ヶ所の問題が本質的に抱えていることの一端を知ることができるので、一読をお勧めする。

ひっかかり

アイヌのエカシ、萱野茂さんが亡くなった.それをうけて、友人の 辻信一さんが送ってきてくれたメールが、現在の六ヶ所再処理工場のことや、いろいろつながることがあるので、是非たくさんの人に読んでもらいたく、辻さんの同意を得て、ここに掲載させていただくことにした.

察知

今年もCandleScapeの制作に携わっている。今回は、大幅なリニューアルを遂げることになり、それを含めて、いろいろなデザイン的な課題、技術的な課題に取り組んでいる。CandleScapeは、これまで培ってきたものがあるので、公開するといろんな反応が返ってくる。その分、やりがいもあるし、責任を感じる仕事だ。人々からフィードバックがある仕事ほど、幸せなことは無い。


MacBookが出た。欲しいラインではあるが。重たい。2Kgを切っていれば、購入を検討したのだろうが、この重さでは持ち運ぶ気にはならず。落ち着いたら新しいノートPCを、と思っているのだが、この調子だとVAIOのRシリーズになりそう。相方も、こっちに引っ越してきて、盛岡に長期滞在することもなくなったので、ノートPCは大画面系より、軽いので十分。さすがに、今のノートPCは重たいし、液晶がかなりへたれてきてデザインワークに使えなくなってきている。買い替えは、どうしたものか。

でも、黒いMacBookはカッコいい。


今年の後半のスケジュールが大幅に変わり、そして同時にエキサイティングなものに。どうやら、座学よりも実践だ!と言うぐらい、実際にモノを作ることが増えそうだ。そのうち、プロトタイプクリエイタなどというネーミングが付きそう。


ちょっと、表層的な話を書く。最近、CandleScapeのことを思うと、電気を消そうというプロジェクトなのに、僕らはどちらかというと電気を使って表現をする。だから、キャンドルナイトの展示を…と考えても、プロジェクターを使って…と考えてしまう。これでは、本末転倒ではないか、と思ってしまうのだ。確かにこれは、本当に表層的なことであり、電気を消してキャンドルを消すことと、CandleScapeをつくり、それにみんなが参加することは同じことなのである。それは、大きくは深層で繋がっていることである。

自分でも、話の整理が付いていないのだが、その表層的なことと深層的なこと、これがいかに絡み合っているのか。突っ込んで書けば、そういった表層と深層と言う別レイヤの話が絡み合い、誤解を生んでいるか。そんなことを思うときがある。

その誤解を解きほぐすぐらいの力を自分は持っているのか。話は、そこに進んでいくわけではあるが。


最近、「気配」を感じるインタフェースなどと言う話をしているのだが、相方が出かけた部屋に帰ってきて、自分のご飯の準備をしながら、これは相方が出したろう物だろうかとか、このように置かれているからきっとこのように使ったのだろうと想像しながら、同じものを時間を超えて使うと言うのは、ひとつの「感じる」ということなのだろう。気配は感じるのではなく、察知するのではないだろうか。察知と言うと、なんとも「探す」という意味合いが強くなるが、情報を感じた上で、それを認識し、そこからイメージを膨らます。それが察知ではないだろうか。