昨日、大きな一歩を踏み出す友人のことを書いたが、自分の後輩にも新たな一歩を踏み出す者がいて、誇らしかった。
その後輩は、仕事と割り切って何かをするのに疲れてしまって、自分がしたいと思えることに、自信を持って取り組もうと決め、転職を断行するそうだ。英断。そう思える。
この後輩の話を聞きながら、自分が数日前に考えていたことを思い返した。それは、自分の仕事というのは、人生とか生活と一体化しているもであり、切り離せないものであると思った。よく、仕事は仕事。アフター5を楽しまなくちゃ、という話を聞くが、自分はどうもそうではないと思っている。「意義を感じられる仕事」を取り組む。前に、荒川は職人肌だといわれたことがあるのだが、こだわりを持ってどっかりと座り取り組み、それが自分の生活と密接な関係を持っていると考えると、なんとも職人的だなと思うのである。つまり、仕事をしている自分とそれ以外の自分は別人だという捉え方は、自分にはできない。そういう二重人格的なことは、本当に自分を切り裂いていくようで痛々しい。
これ、相方が使ったら楽しいかなとか、そういうことを考えてデザインをすることがあるし、相談することもある。日常に、様々なヒントがあり、二人で美術館に行っても、頭の中はぐるぐると動きっぱなしであるし。結局のところ、仕事のことをまったく考えないということは無いのかもしれない。むしろ、ものをつくるということが、「仕事」と表現するのが妥当なのか、その境界自体があいまいなのかもしれない。
とにかくも、後輩の話を聞いて、うれしくなった。そういう時期なのか、わからないが、みんなの中で何かが動き出しているのだろうか。無理をしてではないが、自分も何か動き出さないといけないのではないかと、思わされる次第で、刺激されている。