謎の偏頭痛に本日は悩まされて伏せていました。謎だから、偏頭痛なんだろうけど、普通の頭痛ではないんだよね。と言って、休んではいられないので、夜から仕事に無理矢理自分を向かわせました。
昨日も思ったんだけど、月が満月ですね。きれいです。
名前だけのGWも終わりかぁ。明日からは、世の中も仕事が始まるのね。自分も明日から定時の業務に出る感じ。今月から、週二日の業務になりました。その他の仕事に時間を割きたいというのがありまして。6月からは、定時業務もなくなり、とりあえずはフリーの仕事だけということになります。
本屋って、24時に閉まるのね。もっと、遅くまでやっていてもらっても良いんだけどなぁと思うんだけど、それは生活時間がずれすぎている証拠の願望なんだろうなと思って、やはり我慢するところと言うか、すべてが解放されても良いわけではないんだよなぁ。
毎年迎える一区切りを目前に控え、今、自分にさせなければならないことって何だろうと思っているんですが、それは最大限を知ったり、広げることなんだろうなって。最大限と書くと何なんですが、そのダイナミックレンジと言いますか、振り幅ですね。そういうのをぐぐっと広げるという感じでしょうか。それをしたいなと。もちろん、生涯、それを広げていかなければならないのですが。20代は特にそれに挑まなければと思うのです。
無形デザインと言うことで、レーベルをつくるのもおもしろいよな。と、思ったり。そういえば、大学時代はそういうことを考えていたよなぁと。今は金にならないけど、間違いなく、5年後にはそこでちゃんとみんながご飯を食べれるようにするというような若者的スタンスで、何かを動かしたいなと思う今日この頃。レーベルと言うよりは、エージェンシ的なものかな。もしかして、自分がつくりたいのは、そういうプラットフォームだったりして。再び、また考えてみましょう。そうしましょう。
誰かを否定したり、否定して去るのは嫌なのですが、今の盛岡のクリエイティブな現場というか、そういうのって自分にはピンと来ないのですが、多くのところでつくる側が手を抜いているんじゃないかなって思うんです。それっと、あり得ないでしょ!というのが、普通に平然と存在している。いや、手を抜いていると思いたいのです。そんなのが全力ですと言われたら、まじで?と思うわけだしさ。そういうのを打破していかないと、盛岡とか、そういう狭い視野の話じゃなくて、日本という国の全体の付加価値が上がらないと思うんです。いろいろ人と話していて、自分はそういうことを体現していかなければならない日本の人、岩手の人、北の人だと思うんです。
友人に送別会は辞めてくれと言う。自分なりには、そういうことだと思うのです。もっと、ボーダレスに捉えようよう世の中を。もっと、大きい構成で何かをつなげていこう。そう、自分にも言い聞かせています。