冷徹
きちんと寝られない日が続く。今週は地味にハードだ。
突然、吐き気に襲われて、まさかノロ…と思い焦ってしまった。恐いものです。
仕事をどうまとめて仕上げるか。そんな話をフラフラとする。結局のところ、アウトプット勝負であり、それが良くなければ、何を言っても無駄であるということ。成果がすべてである。それに尽きるのだなと思う。とても、当たり前ですが。
完成したものを誰かに説明するときに、一番イヤなことは言い訳をしながら説明することだ。自信もって、その作品の魅力を伝えるときほど、幸せなことはない。その逆は、耐え難き苦痛だ。その苦痛に慣れてしまったら、いけない。
自分の立場は、いろんな人たちの成果物を受け取り、それに自分の成果物を交えて、自分たちの成果物として世に出すところにいる。そう考えると、自分に厳しくは当然であるが、自分のところに集まるものをどう判断していくか、これはいろいろと精神的に厳しいところであるが、そこに妥協は許されないのかもしれない。とても、自己的なことを言えば、そこで自分が変に妥協すれば、その妥協が成果物に現れ、自分がまとめた成果物に現れる。そして、それが自分の評価につながり、あの耐え難い苦痛を味わう時間がやってくる。それならば、妥協を許さない難しさの方が、よっぽど耐えられる苦痛だ。そのことを苦痛だと言うこと自体が、おかしい話である、そう言うことだと思うのだ。
もっと自分は、もの作りに対して冷徹でなければならない。そう思う次第で。
失うことよりも、その先に得られる大きなものに目を向けなければならない、ということだろうか。自分が人のことを心配するよりも、その先のことを心配しろなのである。