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2006.08.17

[North Design] 南部鉄器、フィンランドからデザイナー

河北新報ニュース 南部鉄器、世界ブランド化 フィンランドからデザイナー(見るには無料会員登録が必要)

 南部鉄器の世界ブランド化を図るため、盛岡商工会議所がフィンランドからデザイナを招聘し、製品開発を行うらしい。また、3年後には、フィンランドで見本市などを催し、販路を広げる計画もあるそうだ。

 この計画の資金は、このところの地域ブランドブームの一端となっている「JAPANブランド育成支援事業」を利用するらしい。

 個人的には、フィンランドのデザインは好きであるが、日本の、盛岡のデザインを海外にただ任せるというのは、少々違和感を覚える。盛岡・岩手には、こういった新しいデザインを起こせるデザイナが不在なのか?そんなことはない。もちろん、こういった外の血を入れて、南部の人材を育てる、新しい刺激を入れていくというのも大切なのかもしれないとも思う。


 南部鉄器とは話は変わるが、フィンランドは間伐材の利用や北国おけるエネルギー利用でも進んでいるらしい。このあたりも、勉強したい。

2.0ではなく、21世紀型へ

夏期休暇中。

月曜日は、じゅんくん、みっちゃん、相方とピクニック。近所の木場公園にて、お空の下、飲んだ。夜に、むっちゃんも合流。久々に、だらだらと過ごした。

入ったお店で「盛岡冷麺」というのがあったので、盛岡な我々は反応して食べたのだが、あれは詐欺だ!というぐらい、盛岡冷麺ではなかった。盛岡冷麺という名称を認証制にすべきだという冗談のような話があるが、本当にすべきかも。あれでは、盛岡冷麺の名が汚れる。


上野にて、若沖展も見てくる。人の多さには疲れたが、良い展示だった。個人的には、絵に当てる照明を変えることで絵の持つ多面的な表情を見せる展示が心惹かれた。屏風などは、家屋の中に飾られ、朝夕の光の変化の中で存在するアンビエントなものである。そうであればこそ、朝夕の光によって見え方が変化する、それはごく自然な話なのであるが、これまで絵画をフラットな照明環境(美術館など)で見ることにとらわれていて、そう言ったアンビエントな見方というのを忘れていた。良い展示手法である。


じゅんくんから、WEB 2.0の話をしましょうと言われて、ちょろちょろと話す。実際には、自分も世に問うオルタナティブな2.0は持ち合わせていないのかもしれず、終始、一般論的な話をしてしまった。

日が経って、気付いたのだが、2.0というよりは、彼との話の中で重要だったのは、「21世紀型」というのことではないだろうか。つまり、20世紀の僕らの脳みそが生んだ未来のロボット「ドラえもん」が持つ4次元ポケットは、結局のところ、世には存在しない。すべては、環として存在している。そこで、僕らは何をするのか。発想の転換である。

WEB2.0というのも、これまで持っているインターネットにおける技術リソースをどう利用するかの転換である。主従関係のある一極集中型のサーバ・クライアントモデルから、分散型のP2Pモデルに転換するように、マシンレイヤーの上に存在するヒューマンレイヤーのモデル転換が、WEB2.0であるし、それがもしかしたら、僕らの21世紀型への移行が見せた顔の一端なのかもしれない。(WEB2.0のほとんどは、サーバ・クライアントモデルだから、どうなのかなと思うけどね。)

事務所の代表の竹村は、よく言う。エレガントな21世紀のシステムデザインをしなければならないと。僕らは、様々なリソースを本当に無駄に利用している。言い方を変えれば、無駄に利用することを強いられている。デザイナは、その解放運動を担わなければならないのかもしれない。

今、去就が話題となっている団塊の世代とは、僕ら東北の人間からすれば集団就職世代である。働くために、土地を離れ、中央に集中しなければならなかった世代である。しかし、世は変わり、逆に彼らをインターネットの普及などをうたい文句にして、地方が呼び寄せようとしている。ここに、一つのワークスタイル、ライフスタイルの変革と解放があるのである。解放というと、共産主義みたいだけど、文明が発達していなかったため、抑えられていた本来あるべき姿に戻りつつ飛躍することだ。

じゃ、まちづくり2.0、いやいや、まちづくり21世紀型ってなんですか?それは、新しいハコを誇らしげに作ることではなくて、今あるリソースの有効な使い方を考えることではないだろうか。21世紀型って、熟考し、行動することである。

本当に高校時代、思い描いていたんだよね。盛岡の町家とかの中に、世界でも最先端のスタジオを作って、この土地から世界に通じる映像とか、クリエイティブな作品を創っていきたいって。古い、立派なリソースの中で、新しいリソースを創り出していく。温故知新であり、「もし私が他の人よりも遠くを見ているとしたら、それは巨人の肩の上に立っているからだ」という言葉を僕らは皮膚で感じて、実践していくべきなのだと思う。

と言うことを考えたのは、鎌倉に行ったから。鎌倉のことは、また別なときに。