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読解

デザインって、読解力なのではないか。最近、そう改めて感じることが多い。

なぜ、この形なのか。それには、その形である理由が確固たるべきあって、その答えは、形状美だけではないところにある。ものが作り出す立体的な面というのは、構造の表れであって、形ではない。構造を司る骨組みが有機体で常に変化するとならば、その骨組みがつくる形は常に変化し、面もそれに追随し一定ではない。構造ではなく、アルゴリズム。考え方。それが、形を作り出す。とすれば、そのものに於いての「考え方」をいかにつくるか。それがデザイナの仕事なのかもしれない。

自分が携わるインタラクティブなものというのは、下手すると形がない。物理的な形がない。ユーザの行動で常に変化するものであって、一定の形を持たないものが多い。となると、特にもその形を織りなす構造、そしてその構造の根幹にある考え方というのに力点が傾かざるを得ない。

言葉だと伝わりにくいのだが、考え方の外側に、もう一層あるスキン。それが、今の技術によって作られている表現である。それは、無論のこと、今自分たちが操れる技術を用いてつくり出すものだが、それは残念ながら他のプロダクトと違って、寿命が短いことが多い。新しい優れた技術が出れば、そのスキンは、新しい技術を用いられたスキンに取って代われることが多い。彼らに対しては悪いが、それがこの世界の宿命でもある。しかしながら、デザイナとして永遠に残るものをつくろうとするならば、何に自分は魂を吹き込めばいいのだろうか。

それは、そのスキンの中にある考え方なのかもしれない。

その考え方を生み出すには、そのデザインの発端において読解が必要である。世を読解する能力。そして、読解した事象に対して、様々なものを紐付けしていく能力。

難しい話だが、深く考えなければ。

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