最近、友人が何でも略しているので、「地クリ」。
Daisy-weblog: 地方におけるデザイナのあり方とWEB2.0
時間的あるいは経済的な余力がないから、ではないでしょうか?(本来、プロフェッショナルが参加するのであれば、何らかのフィーが発生するべきだと思うけれども)仮に無償であれば、本業で十分な報酬を得ていて、睡眠時間を削ることなく参加できるようでないと苦しい。へとへとになるまで働いても報酬は…って人が殆どではないかと。
個人的に、または会社として、こういった公共的なデザインへの参加は、ビジネスであると同時に、社会貢献事業だと思っている。そのほかの業務とスケジュールが調整できるのであれば、こういった活動に、デザイナーとして、市民として参加することは有益だと考えている。とりわけ、リアルな生活者と直接、デザインを通して対話できるわけである。こういったことは、広告案件などでは体験できない、重要な時間だったりする。
加えて、広告案件、受注案件では、できないようなトリッキーなこと、挑戦的なことを行えることも、プライベートワークや先進的なワークのよさでもある。つまり、自分は、こういったノンフィーに近いワークには、「先進性」を求めている。アラカワが参加するのだから、少なくとも、その瞬間でも世界で屈指のことをする。その挑戦をする、その場と実現できる空間を享受できることが、自分にとってのフィーなのである。
枯れた(安定した)メソッドで物を作り続けても、自分にとっても、会社にとっても発展が無い。自分は、強くそう思っている。Googleやはてなに影響されて、自分は、Design-Hackという時間を持つことにしている。今抱えているプロジェクトとは切り離して、一日、アイディアベースの制作をして、簡単なプロトタイプを作るようにしている。結構徹夜に近いけど。そうすると、とても自分がイクスパンドされるのがわかる。それが、その後の案件ベースの制作にも活かされていく。
では、こういった社会貢献事業がビジネスに結びつかないと言うと、そうではないと思う。自分の例だと、昨夏、岩手県公会堂アートショウで制作したフォトアートボードは、地元のコンペでも評価され、IBC岩手放送の広告キャンペーン「じゃじゃデカショット」にシステム提供をしている。つまり、社会貢献事業で開発した製品が、ビジネスラインでの展開が始まっているのだ。
自分が東京でお会いする優れたデザイナのほとんどが、ノンフィーに近い形でデザイン、地域、社会へ還元する活動を行っている。それは、彼らにとってライフワークであり、社会におけるデザイナとしての自分の役割の確認、立ち位置の確認なのかもしれない。自分の勝手な印象だが、仕事が無い、大変だ、といつも愚痴をこぼしている方々は、こういったところが貧相に思える。もちろん、デザイナが行う社会貢献はデザインだけではなく、もっと地道な自治会活動やご近所付き合いで反映されるものもあると思うが。
もう一点は、地元のクリエイターが集まる場所なりサイトなりMLなりで、今のところ決定版といえるものがないのも理由の一つかも。アラカワ君の主催している「Creator's Cafe」があるし、高橋幸男さんの「一つ先の、北のデザインへ」も動き始めた。たぶん、他にも独自で動いているコミュニティがあると思う。こういった動きの上位レイヤとしてのポータルが必要なのかな。
盛岡のデザイナ、クリエイタへの自分の印象は、とにかく閉鎖的。オープンではない。何かイベントを行って、広く自分たちの活動を公開したり、自分たちが何を考え、そしてそれを作品に反映しているか。異業種とのつながりをオープンに持とうとしない印象を受ける。それが嫌で、自分は学生時代に、クリカフェを立ち上げた。そういった思いは、東京のイベントに触れると、ますます強くなる。
実は、North-Designというのをキーワードに、広域なコミュニティサイトを考えていたのだが、名前がかぶちゃっているなぁと言うのがショック。名前を再び考えないと。
自分の北つながりの友人たち(つまり20代)の彼らも、同じようなマインドを持っていて、自分たちの上の世代のクリエイティブ業界人と標榜している方々に危機感を感じている。これでは、先に進まないと。
もちろん、この話題にTBを送ってくれたDaisy-Designの笹平さんは、こういった問題に敏感で、かつ意思表示できる貴重なデザイナだと思う。