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盛岡モダニズム、北のデザイン

年始に作った小作品がチーム内で好評。2月頭に、京都で新バージョンをプレゼンすることになった。ということで、久々の京都旅行になりそうだ。ということで、1月の仕事を早めに終わらせて、数日、京都を散策できればと妄想を。大体、妄想で終わるのだが。

今回のことでわかったのが、抱えている案件とは別なラインで、小作品を作るということは大事だということ。フリーハンドで作るということと短期間、集中するということ。DESIGN SKETCHという考え方を今年は実現していきたい。


今年は、私事的に東京ベースがより強くなるのだが、地元・盛岡のこともいろいろと。

先日、「盛岡学」を読んだのだが、斎藤純さんと志賀かう子さんの対談の中での、「盛岡モダニズム」という言葉が印象的だった。

自分の母親は、宮城から嫁いできたので、たまに盛岡の街や人について客観的な感想を話してくれることがあるのだが、彼女曰く、盛岡には都会的な方を見かけることが多いということ。盛岡は、一般的に北の片田舎という印象があったりするわけだが、そんな街に、びっくりするほどモダンな方が、たまに歩いていられる。そんな、ちょっと都会的な雰囲気を持ちながらも、落ち着いたゆっくりとした街と人が住んでいる。そういう話を幼いころから聞いているので、それが、自分の中で一種の郷土への誇りの様にしてある。

こんなことを書いたら、友人たちに笑われそうだが、いずれは、自分もそういわれる大人になりたいと、実は思っている。

何に対して、都会的なのか、モダンなのか、それは一概には言い切れないが、少なくとも、「盛岡らしさ」というのが、そこにあるかどうかなのだと思う。

正月に盛岡にいたときに感じたのが、地方CMの品の無さ。簡単に、容易に、浅はかに中央のCMのパクリを行っている。あそこまで、大胆にすると、何もいえないというか、自分みたいな人間は、誇りを持って仕事をしていないのか、文化が無いのか?と嫌気がしてくる。中央のものを真似たからといって、それが格好宜しいものになるわけではない。

盛岡という土地を理解し、そして、そこに於ける美意識を、独立した精神の中で探求する。これが、地方における、本来あるべき姿なのではないかと思う。

東京に居を移した人間が、こんなことを書いても、何も説得力が無いかもしれないが、これは、今、日本が歩むべき姿にもダブっているのだと思う。

先日、佐藤卓さんとお会いしたら、年末に盛岡にいらしたとのこと。何でまた?とお話を伺ったら、セイコーの工場にいらしていたらしい。そこで、日本屈指の職人さんとお会いになって、手作りの機械時計を見たり、装飾の工程を体験なさったりしたらしい。フランク・ミューラーなんてびっくりの技術がそこにあったそうだ。日本人らしい繊細さ。その繊細が築き上げる全体の完成度。一見きれいに見えるスイスの機械時計も、細部になると日本の時計に、軍配が上がるそうだ。クォーツなどは、中国など他のアジアの国に、生産量が押されがちらしいが、機械時計の技術力は元祖のスイスを凌ぐ高水準のものがあるらしい。

日本が長い間培ってきた独特の職人芸が、付加価値の高い商品を作り出している。そう考えざるを得ない。

少々、最初の「盛岡モダニズム」とは話がずれてしまったが、要は、僕らは盛岡らしいこと、盛岡だからできるということに、本当に取り組んでいるのだろうか?ということを意識しながら、各人の領域で何かを作り出せているのだろうかという、問いかけである。また、足元(それは、盛岡なのか、日本なのか)には、地味ながらにも(いや、落ち着き根付いた)すばらしい文化や技術があり、それを、僕らは本当に認識できているのだろうか(いや、直視できているのだろうか)。

前に、「北のデザイン」ということを書いた。「北」だから生まれるデザインが、必ずある。盛岡という街だから生まれるデザインがある。それに、ある意味固執するぐらいのデザイナ、クラフトマンの活躍が強く望まれるのだと思う。特に、若い世代の。

今年も、いくつか、盛岡でデザインワークをこなすことになりそうだ。ビジネスベース、プライベートワークなど様々だが、東京でできることを盛岡でやってもしょうがないと思っている。盛岡「だから」できること。そして、自分「だから」できること。それを追求してこそ、世界に貢献できる仕事ができるのだと思う。


ちなみに、本日の昼ごはんは、じゃじゃ麺@三軒茶屋だった。

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