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幻想の崩壊と北国おける服

東京って、すごい人たちが一杯いる場所だと思っていた。いまさら、どうしたと言われそうだが、東京に拠点を移す前までは、東京でクリエイティブなことに携わっている人たちは、みんなすごい仕事をしているのだと思っていた。しかし、現実は違う。どの世界においても、ピラミッドという構造はある。一流の仕事をする人から、首を傾げたくなる仕事をする人までいる。

盛岡にいるころの情報は、雑誌やネット(主要サイト)などがほとんどで、注目されるクリエイタやデザイナの情報しか入ってこない。そういった情報環境にいると、東京の人たちはみんな、そうなんだと思ってくる。そして、そういう想いで、東京に出てみる。

現実は違うのだなと思う。幻想の崩壊だ。

とても、乱暴な言い方をすると、盛岡のピラミッドの底辺を伸ばして、その上に、もうひとつピラミッドを載せた構造といいますか。

「東京で仕事をしています」という幻想に惑わされるな、本質を求めろ。もっと、一流に触れなけば、肌で感じなければと思う、今日この頃。もちろん、自分もそういう存在になって行かなければならないのだが。


東京もだいぶ寒くなってきた。北国生まれの自分だが、だいぶ寒がりだ。この時期は、ちと苦手だ。雪は嫌いではないが。あったかいアウターが必要だなと考えつつ、歩いていたら、そう言えば、なぜ、北国は北国なファッションブランドが無いの?と思ってしまった。

別に、みんなで雪んこファッションできめましょうということではない。北国の寒さと東京の寒さは、はっきり言って違う。原宿で歩いている子の格好を岩手で同じくやろうとするのは、個人的には自殺行為に近いと思う。個人的には、あり得ない。友人は、ファッションは我慢だというが、それが日常になると、それはそれで何か、土地の気候を否定しているようで、何かが違うと思うのだ。

北国の寒さを肌で知っているからこそ、生まれる防寒とファッションの融合ってあると思うのだ。たとえば、高機能な素材を使ったラインのきれいなコートを作ったら、中にノンスリーブの服だって楽に着られる。防寒素材というと、どうも、黒やグレーとか暗い色が多いけど、もっといろんな色を使って、普通のコートと同じようなデザインにできないだろうか。もしかすると、袖口を工夫することで、防寒効果を上げられないだろうか。バートンが出しているかが、アウターの中にiPodを収納するとか、ケータイを収納するとか。北国で手袋をはずして、何か機器を操作するというのは、結構めんどくさい。

そういう観点と様式美との融合。そこから生まれるデザインされた服。そういうのを出してくれるデザイナと職人はいないだろうか。北国という商圏は、別に東北だけではない、北欧だってある、カナダだってある。北国から生まれる、新しい価値観によるファッションブランド。

土地の在り方を肯定し、そして僕らが持つ様式美を追及するという価値観。着物だって、日本人の体型を肯定するアノニマウスなデザインだ。同時に、矩形で布を利用するので、立体裁断より布の仕様効率がいい。また、体型に合わせて着こなしを変えたり、補修もできる。現代に通じる価値観を持った、機能的なデザインだと思う。

一元的な価値観から、多元的な価値観。そういう流れに生まれるひとつのあり方が、服かもしれないと思った。

経済格差なんて、ファ○ク!新しい価値観だろ、バカヤロー!といって、北の大地に立てる、デザインって無いのだろうか。

わかってますよ、「無いのか?」と問いかけるときは、荒川がいずれやることらしい。事業計画書に、一項目、増やしておきます。

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