今日は911だったと、朝起きて、しばらく経ってから気が付いた。頭の中は、総選挙のことを考えていたので。しかし、気が付いてから、待てよ、と思った。
なぜ、今日、総選挙なのか、と。
自民党の山崎氏が、首相がアメリカ同時多発テロの日に合わせて選挙日程を組んだという話を披露していたが、僕らは目くらましを食らったのではないかと思う。郵政、優勢という話になっているが、イラクの自衛隊をどうするの・イラクの復興の泥沼に日本はどれぐらい関わるの?テロ戦争の状況はどうなの?そういった問題も、本当は争論であったはず。この話が出てくると、日米関係って、どうなの?国連って、最近どうなの?日本は何で国連の常任理事国になれないの?とかとか、その周辺の大きな問題にもぶち当たっていく。
だけど、僕らは、構造改革、郵政とかに目が行ってしまっていた。そういうことはないだろうか?こういった国際問題、とりわけアジア外交は危機である。こういった問題も争点だった選挙だったのだろうか。
911以来、世界は変わったのだろうか?確かに変わった。戦争が増えた。減ってはいない。世界の人々がテロに対して恐怖を感じ、アメリカが軍を派兵する地域が増えた。結局のところ、テロリストの願いも、テロの被害にあう市民にとっても、お互い願うところではない状況である。
非常に裏話であるが、自分の911への反応は、実は、「戸ノ岡物語」だった。このあたりの話は、酒があれば一晩、ずっと話し続けそうな(周りにとって)危険な香りがする話ではあるが、恐らくmi:mというのも、自分の中では同じ流れの中にある作品だ思っている。
ELPでは、地球サイズ版のmi:mみたいのを考えている。Google EarthやGoogle Mapでも実現はされているのだが、もっとビジュアライズされた表現方法を模索している。
世界中の人たちのコミュニケーションを糸で可視化したら、地球は蚕の繭になるかもしれない。柔らかな糸に包み込まれた。そのときに、僕らが考えなければならないのが、糸がまだらな、薄くなってしまっている場所が、世界に無いかを見ていくことが必要である。「無関心」であるということが、何事においても、悪い状況を生み出すと思う。
そう考えると、マイコーの「We are the world.」も、ホワイトバンドも、無関心を変えていく、一つのデザインの形かもしれない。
mi:mだって、そうであって欲しい。世界を語る上で、自分、家族、友人、町内、街、地域、国、世界と、僕らはさまざまなレベルで関心を持たなければならないし、何かしらの行動を取るべきことがある。
僕は、今、家族の問題に直面している。でも、自分はそれを乗り越えなければならないと思っている。なぜならば、その力を借りて、世界を変えるデザインをしていきたいから。