大手町カフェへの納品が一段落し、いや、オープンに間に合い、少々一安心。地獄の1週間を何とか耐えたという感じでしょうか。経験値が大幅にアップ。
あさってから、二日ほど休もう。美術館に行こう。おしゃれなカフェに行こう。カメラをぶら下げよう。といった感じで。
先日、グッドデザインの公開審査会の撤収のため最終日に会場に行き、小一時間だったが、会場内の展示を見た。「いったい、自分はあと何年生きられるのだろう」。それが、会場を歩き終わっての、自分の冥利に浮かんだ言葉である。別に、大病を患っているというような悲壮な話ではなくて、あと何年生きられて、そしてその中で、自分は、いくつのより良いものをつくれるのだろうか、ということである。いくつ、文明、社会に貢献できるものを生み出されるのか。そう思ったときに、なんとも熱いものがこみ上げてきた。
もっと、いいものを社会に送り出していかなければならない。それに、向かうのみ。
mi:mに関してのお問い合わせなどが数件。すみません。まだ、一般公開にこぎつけずで。仮運用サーバから運用サーバへの移行など、いくつか、まだすべきことがあり、アップできずにいます。アルファ版として、出しちゃってもいいかもしれないが。
mi:mと地域通貨とのリンクというのも、実は考え始めている。これは、運営にシネマストリートプロジェクトが関わっているということもあるんだけど、人と人のつながり、街と人とのつながりを強くできるのであれば、いいのではないだろうか。まわりにも、地域通貨が云々といっている人たちがいるけど、ぜんぜん現実までに落とし込めていない。僕らが、やってしまおうぜ!という勢いで、えいやっ!でやっちゃいましょう。やったもん勝ち。
最近、またFORのようなことをやってみたいと思っている。FORというは、大学時代に立ち上げたインターネットラジオ局である。ポッドキャスティングなどという言葉がある前に、そんなことをしていたのだ、実は。自分は、そこで何をしかったかというと、ノンパッケージによる音楽配信である。今の音楽・ショートフィルムの世界が抱える問題というのは、流通問題である。この流通には、膨大な資金が必要である。こういった面、アーティスト、弱小クリエイターには厳しい現実がある。もし、流通が変わる、つくり手と受け手の関係が変わると、それは、コンテンツ産業におけるパラダイムである。
ということを、実は、大学時代に企んでいた。このところの、podcasting, iPodなどの音楽配信の隆盛を見ていたり、沖縄のアーティストを中心にしたネット配信事業の立ち上げのニュースを見たりして、昔の想いがよみがえってきているところがある。
アート・クリエイティブの次世代のプラットフォーム作り。いや、次世代ではない。旧世代に忘れてしまった、本当の流通のあり方を取り戻しつつ(僕らは野外市場的モデルな音楽配信を考えていた)、インターネットによる拡張をもたらしたいと考えていた。もし、そういうプラットフォームが埋もれている才能、人類にとって大きな才能を発掘できるのならば、それは衝撃である。才能との出会い。これは、大きな衝撃であり、感動なのだと思う。
もちろん、この流通にも、地域通貨を利用できないかと個人的には考えている。それは、シネマストリートプロジェクトのcなのか、坂田のartsなのか、音楽ということでmとか新しい通貨をつくることなのかはわからないが。
はやり、長生きしなければならないな。やりたいことがてんこ盛りだ。