お別れ会があるという話を聞く時期になってきた。気が付くと、卒業式やら就職ですという時期なんだなぁと思う。東京に住んでいるとどちらかというと、この時期は迎える側になることになるのだろう。盛岡からも、今春に、仙台や東京に移り住む人が多く、人がまた流れていくと嘆く声が聞こえてくる。
どこかの街にとどまることができるかというと、実は現実的に難しかったりする。自分自身の問題ではなく、家族の問題などで、引っ越しせざるを得ないときもある。介護とかいろいろね。自分も、ご多分に漏れず、家族周辺でそういう話もあり、将来的にはそういう立場になるなぁと考えているところもある。
ポジティブに考えると、人の流れがあることは重要である。人は文化である。文化の往来があってこそ、街の文化も形成されていく。人の流れというのは、周りの人を育て、そして街を育てていき、国を育てていくのだと思う。同時に、世界の文明も育てていく。万博会場にいると、いろんな国の人が集まっていたり、地球回廊でも様々な国の人が参加してくれているのを体験していると、あっ文明の経験値が上がっているなと感じる。
人は流れるものではあるが、そこで途切れることはあまり喜ばしいことではない。いかにして、みんなとつながっていくことを残していくか。または、活かしていくか。これが、大切なことなのだと思う。ここを仕掛けていくことが、自分にとって、大仕事なのではないかと思っている。
自分の頭の中では、地理レイヤーとそれぞれのクリエイタ・アーティストがクリエイティブなこと、プライベートなことでつながっているレイヤーは別にあると思っている。つまり、地理レイヤーでのマッピングは、僕らが普段見ている地図のそのままかもしれないが(ただし、交通機関の移動時間の変化による変形は考えられる)、つながりレイヤーはかなりいびつな形をしているのではないかと思う。つまり、地理とは関係ない形がそこにあり、もしかすると、同じ街にいる同士よりも、遠い町にいる人同士の方が近いなどと言うこともあるかもしれない。例えば、遠距離中の恋人同士など、そういうものでしょう。世界で、家族・恋人という関係でマッピングして、地図を変形したらどんな地図ができるのだろう。ちょっと、妄想してみた。
と言って、忙しさにかまけて、メールの返事が遅くなっていて、すみません。元気には、とりあえずは笑っています。