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日々を濃くするもの

本日は、昼からえっさえっさとsnow mailのデザイン案を資料にまとめる。おぉ、かなりのイラレ使いになっているぞ。風立の経験がここに。

夕方から丸の内の現場を視察しながら、そうげん君と小畑君とデザインミーティング。インスタレーションのいろいろアイディアが出る。これを明日、先方に良い感じで伝えなければ。

振り返ってみると、自分が出しているアイディアなんというのは、ほんとちょいとだけなんだ、実は。言い方によっては、みんなのアイディアが集まって、作品が出来上がっている感じ。で、今日、資料をまとめながら、それらの関係性を考えたり、もっと良い使い方が出来るのではないかと、いろいろ思案する。実は、この整理、編集、文脈付けというのが演出であり、ディレクタの仕事なんだなと改めて感じた。そして、どうもその仕事が自分は好きらしい。もちろん、自分のアイディアも出しているのだが、みんなのアイディアもどんどん集めて、そこから紡ぎ出していく。これは、結構楽しいし、脳みそがフル回転。快感を覚えている。

今回は、実に良いチームで仕事が出来ていると思っている。この成果をドドンッと東京の年の瀬に見せたい。

ここ最近、うぐぅーとカメラが欲しいと思っております。だいたい、なんか人生の中で何かがあるときは、いろいろとカメラと出会うことが多い自分。たぶん、そんな流れの中に生きているような気がするのです。それは、カメラがあれば、何かが変わるかもと、思いこんでいるからかもしれない。

竹村先生は、スローとは、世界の解像度を上げることだというようなことをおっしゃることがある。ちょっと、一般世間で言われているスローの捉え方とは違う(でも、本質的には同じだと思う)。つまり、世の中のことの裏に隠れていることを知り、より自由に選択と判断を出来るようにしていく。それが、スローなのではないか。そのためには、知識を得る場も必要だし、それを考える時間も必要である。必然的に、スローというか、通り過ぎるだけの生き方では、それを実現できない。

自分は、似たような感覚なのかはわからないが、時間を濃くすることがスローなのだと思っている。まぁ、ここ最近スロー、スローなんて言うけれども、目指す生き方、または自分が幸せと思える生き方へのアプローチが、それなのだと思う。

じゃぁ、どうやって濃くするかと言うことなのだが、それはやっぱり、妙に速い速度で何かを通り過ぎないことであろう。簡単な例でいうと、夜にまたは翌朝に、この「-edなこと」を書くわけだが、そのときに、今日一日何をしたかな、何を考えたかと思い返したときに、何も出てこないときは最悪な日である。故人は、三省と言ったが、それぐらい振り返ることも必要なのかと思うのだ。そのための作業として、この文章をつづり続けることは自分の人生に於いて、非常に有益なことなのかもしれないと、このところ思えてきている。

自分の身近なところで、時間を濃く過ごす方法は、カメラをぶら提げること。カメラを提げて、街に出ると、何か被写体を探す。そうすると、歩きも自然と遅くなり、周りの風景の見方が変わってきて、思わずの発見やいつもとは違う視点で物事を見たり、考えたりするようになる。一緒に誰かと歩いていれば、その人の表情を探したりする。すると、この人はこんな表情をする人なのかと、新たな発見もあったりする。カメラがあるときと無いときとでは、明らかに世界の捉え方が違ってくる。

だからといって、高いカメラを買って良いことにはなりません。運動会前に、デジカメの購入をおねだりする夫のようですが。

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