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ワークショップ

まだまだ、非公式なネタなのですが、今年度、盛岡自主制作映画祭がワークショップを企画している。それについて、盛岡のスタッフといろいろと意見交換をしているんだけど、どういう風にインディーズ映画作りのおもしろさを伝えるかと言うところで、結構考えてしまう。

インディーズ映画作りというよりは、映像作りというか、何か映像を撮って、それを人に伝わるように編集して、見せていく。その醍醐味を伝えていかなければならないと思う。

このワークショップを開催するに当たり、映画祭を含め、僕らの中である危機感は作り手の減少である。減少と言っても、そもそもそんなに多かったわけではないのだが、この2年ぐらいでつまり、映画祭を立ち上げたメンバーたちが大学を卒業したと同時に、ほとんどが東京方面に出てしまって、作る人間が一気に減ってしまったというのがある。

本来ならば、大学時代に映像制作を覚えて、地元の企業に就職し、そこでコンテンツ制作に携わるというパターンがあっても良いのだけども、誰も地元企業には惹かれもしなかったというのがあって(実際にそんな制作会社は悲しいことにない)、地元に残るものはいない。

こういう話の顕著なところは、地元の映像ディレクタに講師を頼もうと思っても、ぜんぜんそういう人材がいない。ルーチンワークとかで映像を仕事で作っている人はいるだろうけども、いわゆるテレビ的なディレクションではなくて、映像においてクリエイティブなディレクションをしている人がいない。地元発でそんなコンテンツを見たこと無いし。

そういう状況の盛岡・岩手を変えていく上でも、こういったワークショップを開催して、裾野を広げていくことが大事だと思う。話を聞くところでは、いろいろ動いている人はいるようである。しかしながら、どうもそれは単発的に動いているようである。どうせ、ちっこい街、盛岡・岩手である。やるんだったら、でっかく街全体を巻き込んで、いや、東北全体を巻き込んでやった方が求心力もあると思う。

こういうときにいつも思うのが、ソーシャル・プロデューサーの欠如である。社会を作っていく側に立てる人間の少なさ。これが、今抱える盛岡・岩手の弱さじゃないだろうか。そして、コミュニティをデザインできる人材の少なさだろう。

でも、昨日ご飯を一緒に食べた友人の表現を借りると、熱い人が減っているんじゃない?と言うことだった。映像狂い。そういうヤツが熱を発していなければならないのだろうな。懐古主義ではないが、確かにあのときは、熱いヤツがごろっと揃っていた。

しかし、懐古主義であってはいけない。逆に、熱いとは何だったのか。そこを僕らはもう一度捉え直し、熱いといえる人間を育てることをもう一度考え直さなければならないと思う。文明において、一番クリエイティブなことは、人を育てることだから。

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