今年初の花火大会に行く。花火はなんともきれい。一瞬に咲く花でして、はかない。見ていると、上げる順番、構成にもストーリーがあるようで、静と動を付けることを意識した上げ方だなと。花火の上げ方にもストーリー展開があるのですね。
自分の前で花火を見ていた2歳ぐらいの子供が印象的だった。花火が上がるたびに、声を上げる。声を上げる花火と上げない花火があるように見えた。一種の歓声ではあるのだが、彼はすでに、視覚を声に変換するというパフォーマンスをすでに習得している、そんな風に思われた。何かから感じて、それを別な表現方法に変換する。そこに介在するのが人であり、アーティストなのかも知れない。もちろん、それは単なる無機的な変換ではなくて、アーティストの感じたものが付加されることで変容していく有機的な変換である。
と、いろいろ考えなくても、子供はそんなことをまるで生理的にやっている。野性的といったらいいのだろうか。
いろんなことのヒントは、転がっている。そう思わさせられた花火大会だった。花火に加速度を感じてしまったりしているからな。