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プロデューサ日記を始める。

ずーと、「理由」を考える。論理的ではなくて良い。自分にとって、確固たるものであればいいのだ。

盛岡絶賛系についての話を人とする。話題に上がったので、演劇系のサイトで評判を探る。そのなかに、「寄せ集め」じゃないかというコメントがあった。まぁ、書いている本人もひがみですからと、断っているが。

盛岡絶賛系は、「寄せ集め」であるから良いのだ。わかっていない輩は勝手に言っていればよい。良いコンテンツというのは、如何に提供されるかによって、その輝きを増す。現代においては、DJ文化がもたらし「セレクト」という情報提供の仕方が非常に重要なのである。つまり、盛岡絶賛系に、つまらんコラムが集まっても、だめなわけで、沢野さんが声をかけた面白げな人たちのコラムが集まっていると言うところにアドバンテージがあるのだ。沢野さんの編集センス、音楽で言うならば選曲センスというのをここで注目しなければならないし、それに共鳴し原稿を提供しているライター陣への評価も怠ってはなら無い。

盛岡という街は、前から言うように、プロデューサ、プランナ不足であるし、こういった編集者的なつまりはセレクトできる人間の人材も、不足しているのではないかと思う。実際に、パンチのあるセレクトショップってないでしょ?

情報を「選択」し、さらに意味づけをしていく。これが、これからのメディアリテラシーにとっても、エンターテイメントにとっても、重要なポイントだと思う。

最近、演劇、映画を問わずに、インディペンデントな演出家、プロデューサと話すことが多いが、僕は他の人よりもたぶん持っている「レコード」の数が多いんだろうなと思うときがある。そのレコードを如何にかけまくるか、そこにも、また自分の真価が問われるような気がする。無論、自分が良いレコードであるということも、最低限として必要なのであるが。

そう言えば、今日は学部全体の講座説明会だった。今回からポスタ/デモセッション形式の説明になり、にぎやかな感じになった。まぁ、2年生に声を大きくして、うちの研究室は良いよ!と言えない自分がいたりするし。

演劇とか映画に傾倒した人生はどうなんだ?という話が今日、人とあったけど。僕はIt's okだと思う。単純にかっこいいじゃん。それがプロだろうが、インディーズだろうが、それは、関係ない。そこに、彼/彼女の魂があれば、良いのだと思う。そういうヤツの方が、強いと思う。価値観の違いなんだよ。つまりのところは。まぁ、そう言ってしまえば、すべてが解決というか、何も言えなくなってしまうのかもしれないけど、でも、それでしかないのだと思う。

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