教育って、何だろう?今日、大学絡みで起きた出来事で、いろいろ考える。
久しぶりに三高訪問。
新校舎が出来てから訪問するのは初めてで、びっくり。
なんだ、このおしゃれな学校はと思ってしまった。
床は木を使っていました。ここ最近の校舎作りは、こうなっているらしい。
放送室は、ブースができていて、広いぐらいで、あとは何も変わっていなかった。ちゃんと、生徒のフィードバックを活かしていないデザインだなと思った。
逆に言うと、備え付けの変な棚とかがないから、生徒が自由にレイアウトできるという利点はあるが。
校舎が新しくなったからとはいえ、お引っ越しですから、僕の頃からがんばっている機材や棚などはいっぱいあって、懐かしかった。というより、がんばれよと。
後輩の昨年秋の新人戦の作品を見る。
荒いところもあるんだけど、僕が高校の頃の作品と比べて、まとまっているんだよね。びっくりしちゃった。「月の海」は、トリップしていたからなぁ。でも、あれを見せたい人は何人かいる。
話は戻って、彼らの成長には何が必要かと思った。
それは、この作品をいろんな人たちに見せること。不特定多数の人に見せるということも大事なんだけど、いろんなジャンルの人に見せるということ。
現在の高校の放送系の活動は、とても閉鎖的。
こんな情報社会なのに、外を知らない。まぁ、本人たちが外に出ようとしていないだけかもしれないが、進路を決めるときに大学一覧を見て決めちゃダメだ。社会を知らないと。
三高の視聴覚委員会(放送部)の連中というのは、昔から外を見ているヤツが多いと思う。僕が然り、タカヒロ然り、そして、今のM沢、Y田も然り。だから、余計にこいつらの作品を外に持っていきたい。放送部の大会で、内輪でみせ会ったりしているだけでは、ダメなり。敏感な彼らに十分な刺激を供給していない。
しかし、高校演劇の顧問たちと違って、放送部系の顧問たちの大多数は、冷めている。いや、「大人」なんだと思う。でも、それで本当に良いの?あなたたちの言い訳で、彼らの青春(高校時代)を不完全燃焼にして良いのだろうか。M沢の話を聞いていると、あぁ、俺があんなにあがいて、暴れまくって過ごした高校時代は、ぜんぜん無駄じゃなかった思える。こういう人材が育っているんだよって。
僕らOB/OGの学生、いや人間たちが何ができるか。真剣に考えないと。
僕は、高校の頃、学校に社会に、吠えていた、叫んでいた。
それを、僕は一人の人間として、体現化していかないと。
教育機関に入ろうなんても思っちゃいない。
街の教育者として、成っていけたらと思う。
体現化。それは、あのころの己との戦いであり、自己の存在の肯定でもある。