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2007年12月22日

デザインの「オープンソース」化を見据えて

Going My Way: 複製できないものが価値を持つ時代に反応しての、

fladdict.net blog: デザインの投資市場について。


僕の思いつくなかでは、お金を集めてから制作を開始して無料配布、というのがかなり有望な回答だと思う。イノベーションへの取り組み自体を商品化する方法。

この場合、創作市場ってのは作品単位での株式投資システムになって、デザイナーの評価は作ったモノへの評価から、満足する商品を作れるかの打率へと切り替わる。 実験的にこういうシステム誰か作ってくれないかな。

ものすっごい作り手間の格差や、生存競争のあるシビアな世界になりそうだけどおもしろいっちゃあおもしろいんじゃないかと思いました。

印刷術の登場を経て、コンピュータが登場し、コンテンツが容易に複製可能になり、コンテンツの制作も楽になったことによって、いわゆる「にわか」職業デザイナが増えたことが、ここ20年ぐらいの出来事ではないだろうか。

印刷術の普及により、文書はそれまでよりも普及しやすくなったが、テキスト自体は、ペンで書くものであり、ワープロが登場した後でも、ツールによって文章が自動生成されるわけでもなく、求められるのは書き手の能力であった。しかしながら、商業デザインにおいて、底辺に近いところでは、ツールの発達によりデザインの素を考えなくても、それなりものが自動(もしくは半自動)生成される世の中になり、デザインのロジックなどが希薄なモノが溢れる世の中になっているのではないだろうか。加えて、CGMを代表するように全人類表現者社会というものも迎えつつある。

「職業」デザイナの本質が問われている時代なのだ。

奇しくも、コンピュータの発達により、「職業」デザイナ(「にわか」も含めて)じゃなくても創作をし発表できる社会の黎明期を迎えている。「にわか」デザイナはと淘汰される時代である。コピーされること、複製するということでお金が発生するという概念がなくなるとすると、そのプロダクトの根本的なアルゴリズムとロジックが重要になって来る。そこに、本当の価値がある。

それをデザインできないデザイナは、デザインを生業とはできない時代が来る。Macを操作することをデザインだと思っているようなデザイナ不要論が加速する。

「職業」デザイナは、どうなっていくのか。いわゆる作家的なデザイナと、オープンソース的なコミュニティを形成しものづくりをしていくデザイナに分かれていくのではないだろうか。良い例えかわからないが、空想家電などは後者の走りだとも捉えられる。

確かに、後者のようなスキームのでものづくりにおいての、デザイナに対するフィー、また生産工場への利益還元はどのように行われていくかは気になるところである。

少なくとも、ソフトウエアプロダクツ(いわゆるIT基幹分野ではなく、コンシューマ向けサービス&プロダクト)の分野において、その革新が望まれることは間違いない。

投稿者 araken : 2007年12月22日 12:04

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