自分という点
日曜日の夜に、嘔吐と下痢に見舞われ、このところ、体調が良くない。
土日の修行の成果は、良い形で見えてきている。今週、修行時間を確保できるか。それ次第だ。
意地だ。悩んでいる暇はない。
石井裕、曰く、
「私はここでしゃべっているけれども、2050年は地上にはいない。2100年にはみなさんもいない。しかし、肉体は死んでも、名前は忘れられても、あなた方が生み出したコンセプトは2200年になっても残るかもしれない。メメント・モリ。死を想いながら成し遂げる仕事。そのような仕事をしてほしい」
押忍。
まだまだ足りないが、出来る限り、100年後や300年後のことを考える様にしている。自分という点が、状況が、現象が、どれだけ今の文明という大きな流れにコミットできるか。自分とは、どういう大きな流れの一点なのか。
ということを考えれば、その悩みよりも、自分が成し遂げたいと思うことを如何に成し遂げるかの方が、大きな悩みではないかと思う。
そうそう、原宿で小南君にばったり会った。なぜか、おびえていた(様に見えた)。悪いことはしないよ、グヘヘと思った、朝の通勤路。