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2008.01.07

浮世離れ

長期休みというのは、デザインに関して考えるのにとても良い機会である。というのも、帰省先で、普段インターネットに直接関係なく生きている人たちと話したり、そういった方々にパソコンの使い方を教えたりすることが多く、情報デザインワークショップと言ったら聞こえが良くなるが、「ふつう」の人はどういう風にインターネットやインタフェースに触れるのかということを肌で感じられる貴重な時間である。

そう言ったところから感じた、情報デザインについて。


強いて言えば、自分はとにかく浮世離れしている。そう感ずるのが、この「ワークショップ」の時間である。インターネットのこのサービスを使って、新しい便利なソフト(ツール)を使って、そんなことを日々何気なくやっている自分、いや、楽しんでやっている自分であるが、ごく一般的な家庭人な人たちにはそういったことはほとんど関係ない。

メールを送れれば十分だし、低コストなデジカメで撮った写真を保存できれば万々歳。iTunes Storeで買うよりも、TSUTAYAで安く借りてリッピングさ、というのがごくふつうのパソコンの使い方。しかしながら、ここまで使いこなせれば、すごい方。年配に行けば行くほど、こういう操作は難易になる。

仕事では会社が用意したシステムを使いこなしているわけだが、いざプライベートになるとトンと使い方が分からないと言うことが多い様である。パソコンを使うとみんな便利であることは知っている。でも、便利を享受するところまでいけないほど、パソコンは不便だ。と、改めて思う。

パソコンが不便なのか?

否、ただただデザインが下手なだけではないかと思う。


丁度、柳宗理の本を読んでいて、改めて思ったのが、情報デザイン製品は、民藝の域を目指さなければならないし、民藝の精神を持って作られなければならないということ。

どうやってコンピュータで工芸品を作るんだい?と聞かれそうだが、そういうことではない。手工業製品から機械工業製品の変遷の中で息づく民藝の精神。これを情報デザインの分野にも息づかさなければならない。柳宗理は、これを説いてくれている。そして、その思想を僕らは継承しなければならない。


今週は、そんなぼやぁと思ったことを綴ってみたいと思う。