ノマディック美術館
自分自身が、環境に包含されている有機体であるということを認めなければならない。
森下の駅前からバスに乗って、お台場で催されているノマディック美術館の展示を見てきた。六本木ヒルズで行われていたプレ展示でその世界観に魅了され、前売り券を購入していたのだ。
とてもあり得ないような人間と動物の対話の姿を写した写真と映像。六本木では、写真が主役だったが、お台場でのノマディック美術館では、間違いなく映像が主役だった。この展示のために設計され、作品と旅する移動型ノマディック美術館の建築性と相まって、神殿の中にいるような感覚。動物と人間という、創世記的なミニマル感のある世界に浸ることができる体験だった。
ビデオアートというのは、どうにも苦手だ。何をやっているのか意味の分からないパフォーマンス、粗いDV映像、下手な編集、耳障りなサウンドなどなど、「プロ」ではないアーティストが作るビデオアートほど、ひどいものは無い。それも、終わりも告げられず、画面の前で傍観しなければならない。
しかしながら、この展示の映像は違う。スローモーション映像の美しさと通常ではあり得ないような動物と人間が同居した映像。どこを切り取っても、美しい。クジラの群れの映像などは圧巻である。これぐらいのクオリティのビデオアートは大歓迎だ。解説には、ビデオアートではなく、「映画」「俳句」と表記されているが。
写真や映像を見ながら、こんなに、動物と人間は仲良くして良いものだったのだろうかと、考えた。動物は動物、人間は人間と、分けなければならないというのは、それは文明的な発想なのかもしれない。人間だって、動物じゃないか。自分と環境を分けて考えてしまうことと同じで、動物と自分たち人間も、もっと近い隣人として考えるべきなのだろう。「動物愛護運動」とかを問うているわけではない。当たり前の感覚として。