Powered by
Movable Type

2007.05.17

形のない形状

このところ、自分が考えているのは、形のない形状である。

形状と言うよりは、在り様と書いたらいいのだろうか。「もの」の存在の仕方を定義することを常に考えている。ある表現されるべきことが、ディスプレイ(言い換えればユーザインタフェース)に存在することは確かなのだが、その存在の形状は、常に変化させられ、その変化は常に環境からの影響を受けている。よって、大まかな存在の仕方は定義されていても、その形状は固定されるものではなく、常に変化している。

例えば、池の畔に大木がある。その大木の影が湖面に映り、その影が揺れている。これは、大木の存在と同時に、風が吹いているということを感じ取ることができる。大木の存在という形状は、常に風によって、その形状は変化していく。大木の枝が風に揺れ、水面を走る風が波紋を起こし、映像に揺らぎをもたらす。大木という存在は、常に形を変えて、私たちに届けられる。その形を変える要因すらも、私たちにとっては無意識に届く情報である。

とても、普通なことだが、デザイナが決め込んだ形状が、そのままに存在することは、本当は無いのだ。それが、「ふつう」なのだ。

でもなんだか、その「ふつう」が、世の中に広がっていない。そう思うのだ。その「ふつう」を形にしたら、それはとてもおもしろいこと。いや、形にしようとしているところで、その本質をかすめているに終わっているのかもしれない。間違いなく、そのそばまでやってきているのだが、手が届かないもどかしさが、今日この頃の悩みの種なのである。

なぜならば、湖畔の大木の影を見つめる自身も、常に変化するものだから。