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2007.02.09

出過ぎた杭は誰にも打てない

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「あぶなぁい!」といった様相の1週間。


石井裕教授を特集した番組を見て、単純な自分は盛り上がっている。

映画なら岩井俊二、メディアアートならば岩井俊雄、そして、コンピューティング研究ならば石井裕。そんな学生だった自分には、久々に、tangibleというのことを考えさせられる内容だった。

この番組を見る前に、帰りの電車の中で、インターネットの次に自分が学ぶべきものは、プロダクトデザインなのか、でも、それを学ぶにはタイミングが遅すぎるのかと考えたりしていた。石井さんの元で動く院生たちは、28~30歳ぐらいの人たち。無論、30倍以上の倍率をくぐり抜けてきた優秀な彼らではあるが、自分より上の彼らの姿を見て学ぶと言うことに遅いはないのだと考え直させられた。「why」をギリギリに求めて考え、世界に例のないアイディアを求める彼らの挑戦する姿は心打たれる。自分も、何かそう言うところに身を投じなければならないのではないか。

サイバーとリアルの境界は、曖昧になっていると言われているが、依然とその間には、「曖昧」なボーダーが存在している。意識の面から言うと曖昧さが進み、ハードという面から良いとそのボーダーは未だに明確である。しかしながら、その境界はどこかで歩み寄り、何らかの着地点を見出すべきものである。今は、二つのぼやけた境界線が、一緒に止まろうとせずに、人類の技術の発達と意識の覚醒のカオスの中で、その居場所を求めて浮遊している状態なのだと思う。

何となくではあるが、自分が求めているモノの形が現れ始めてきた様な気がする。無論、それは自分の頭の中であって、まだアウトプットされていない。

「why」を求めて、「what」を描く。その逆もあり得る。


このところ、30歳後の自分のイメージを求めている。「成り行き」主義者の自分ではあるが、その成り行きは自分で方向付けなければならない。もっと、視野を広げ、新しいステージを求めなければならない。