ヨーダは遠野のカッパだった
何で、盛岡で作品をつくらないんですか?
ボクは盛岡で作品をつくろうと思っているんです。
そんな会話が、この間の宴で交わされた。自分は、その会話をちょっと離れていたところで眺めつつ、自分は、どうなのだろうかと、そのやりとりを見守りながら、自問自答していた。
むやみに、I Love Morioka.では無い。それが端的な答えではある。誰かが、正直言って、今の盛岡には魅力がない、と言った。花巻や水沢とかは、別ですけどと。実は、東京に出てきた人間のジレンマが、そこにあるのかもしれない。盛岡のことが好きだけど、実は、東京から見ると、他の街とそんなに変わらなくなってきている。好きな理由は、「生まれ育った街」であるということぐらいになってきている。最近の盛岡の動向を見ながら、思うところなのかもしれない。他の街とさほど変わらないじゃないか。実は、そう思えてならない。
どんなジャンルの作品も、盛岡でもつくれるし、東京でもつくれるし、どんな街でもつくれる。どこか地方ロケしましたと言っても、それを撮れる地方はどこでもあるのかもしれない。だから、なぜ、その土地でやるのか、強く必然性を求める。盛岡だからできることは、何なのか。それを自分たちは強く求めなければならないのだと思う。
自分は、東京に出てきて2年強。既に、経済のつながりでは、ほとんど盛岡から離れている。だから、ビジネスの面で強く盛岡にこだわらなくても良い。でも、あえて盛岡にこだわるのならば、それなりの必要性が求められる。ただ好きだから…、それでは、説得力がない。盛岡に住んでいる人が盛岡にこだわるのは当然である。なぜならば、住む街だから。だけども、自分たちは違う。既に、立ち位置が違うのだ。これを素直に認めなければ無ければならない。
自分が主に関わる情報デザイン、インタラクションデザインという分野は、今のところ東京を中心に動いている。しかしながら、都市における情報デザインと地方における情報デザインは、性格が違う、と自分は考えている。東京のような大都市に求められるデザインと地方に求められるデザインでは、使われる現場が違うのだから、当然在り方が違うのだと思う。時には、東京におけるデザインを求めつつも、ある時は地方におけるデザインとは何かと切り口を分けながら考える必要がある。
東京でできることを盛岡に持って行ってもしょうがないのだ。実は、昨年、盛岡のプロジェクトに関わって思ったことが、そのことかもしれない。
盛岡らしさって、何ですか。とことん、それにこだわることも、必要なのだと思う。上っ面のかわいさ、美しさを求めるのもいいが、もっと根っこの部分を考えるべきなのだと思う。今日は、何度も使う言葉になるが、正直言って、僕らは、とにかく新しい何か潮流をつくりだせる世代なのだ。だからこそ、足下をしかと見て、考えなければならない。
ニュートン曰く「私が他の人より遠くを見ることができたとすれば、それは巨人の肩に乗ったからだ」。
来年から、実は盛岡でとあるプロジェクトを立ち上げる(実際には、立ち上がっているプロジェクトに合流する)。ただ、東京から、何かを持って行こうとは思っていない。盛岡だからできる希に見る情報デザインを、そこで自分は実現しようと思っている。なぜならば、そこで世界に誇れるモノをつくり出せる自信があるから。
いつも問うっていることがある。それは、自分が世界でどれぐらいのポジションにいるかだ。自分が世界屈指にどれぐらい近づいているか。それは、東京だろうが、盛岡だろうが、どこでも関係ない。自分が世界の一点であるかどうかである。
なんだか、そのことを再確認した。これを自分なりの宴の答えとしたい。