クリカフェの話
Creator's Cafeを、盛岡の若い世代(アラカワ君も若いけど)に渡しちゃえばいいのに、と思う。
あまり、ここらへんの裏事情を公にしても、何も得することはないと、公の場では語ったことがないが、笹平さんからの指摘もあり、同時に、自分自身、クリカフェが何らかの形で残ってくれるのならばと思うので、このあたりのお話を。
クリカフェの定期的なイベント開催が休止した後、実は、引き継ぎたいという有志が手を挙げてくれて、一度は引き継ぎを行った。残念なことに、その後、うまくイベント準備が行かなかったのか、彼らを運営メンバーとしては、クリカフェのイベントは開催はなかった。意外とこういった手のイベント運営は大変だったのか、自分の引き継ぎが余ったのか、これに関しては、自分でも悔やまれるところ。ただ、このことは、やる気を持って手を挙げてくれた彼らだけが悪いことでも無いと思っている。こういったものは、様々な機会・機運が揃って、動き出すもの。このときは、その「とき」ではなかったのだと。
クリカフェのイベントを久しく開催できずにいたのだが、昨年、一度だけだが、復活開催をした。これに至っては、手伝ってくれたスタッフ、そして励ましの声をくれた参加者、「参加したことはないけど、今度は参加したい」という方々からのご支援があってのこと。改めて、感謝。
それでつぶれてしまうなら、盛岡にパワーがあったのではなくて、アラカワ君個人のパワーでしかなかったということになってしまう。盛岡の若い世代(アラカワ君も若いけど。しつこいか)も、「自分にやらせてくれ」って言い出すべきじゃないだろうか。そういう場を切実に求めているんだったら。
正直に申すと、クリカフェは、誰か手を挙げてくる人がいるのならば、ぜひ動かして欲しいと思う。元からそうですが、クリカフェは自分だけのものではなく、盛岡・岩手を軸とする多くの表現者、クリエイター、アーティストのためのもの。もはや、共有財などのだと思う。加えて、クリエイターズカフェというネーミングにも、こだわらなくても良いと思う。別な名称のイベントでも良いと思う。
いずれにせよ、ちょっともったいない。そして、言いだしっぺが抜けても続いていくのが、「根付いた」ということなんじゃないかなあ、たぶん。
確かに、「根付いた」という表現はできないだろうなと思う。
笹平さんの「ちょっともったいない」という言葉に救われる。毎回、なんだか不思議な出会いがあるのが、クリカフェである。こういうイベントがないと、関わりを持たない人と出会ったりする、その不思議さが、クリカフェの魅力である。
盛岡のこういったことは、盛岡で活動する方に託す。自分の最近の方針である。その一方で、「北のデザイン」という基軸で、何かデザインカンファレンス・イベントを作り上げられないか、それが最近の自分の考えるところである。
なぜならば、北の地に生まれ育ったことを誇れる、デザイナ、ものづくりになりたいからだ。