帰りたい
昨日は、同い年の友人の結婚式が盛岡であった。友人の結婚式というものに始めて出席した。
ありがちな結婚式とは違い、とてもいい結婚式だった。余興も、下手なカラオケではなく、いい演奏だったし、最後に手渡される両親への手紙の代わりに登場したくす球には驚かされた。天晴れ。涙腺が緩んで、あと一歩のところで堪えての3時間だった。
土佐の武士の気持ちがわかりましたよ。はい。
このところ、目の前の案件に追われていて、取ることができなかった時間を得た。結婚式に出て、夜遅くまで飲んで、今日は実家でゆっくりとしたので、いろいろと考えにふけるというか、ゆっくりとこのところの出来事やこれからのことを考えるゆとりを得ることができた。
ちょっと、忙しすぎたかな。いや、どうやら忙しいそぶりを見せ過ぎたかなというのが、思うところ。結婚式で昔からの知人に会ったりして、アラカワ、最近どう?なんという話をしながら、ご無沙汰で申し訳ないという思い沸いてくるし、暖かい結婚式を目の当たりにして、早く帰りたいなと、実は思ってしまった。それは、東京に帰りたいと言うのではなくて、盛岡に帰ろうかなぁという帰りたいだった。
東京を出る前に、この間まで盛岡に帰るのとは違う感覚を自分は感じていた。ベースキャンプが東京になったんだなと思ったのだ。東京に後ろ髪引かれ隊というか、東京に体半分を残して、盛岡に戻る感じだったのだ。これまでは、盛岡に帰るぞぉと言う思いだけだったのだけども。それが、帰ってみると、それは逆で、やっぱり自分の真のベースキャンプは盛岡だなと改めて感じる次第。
と言って、わたくし、今すぐに荷物をまとめることはいたしません。なぜならば、自分には、この東京で修行し会得し、盛岡に持ち帰りべきことが数多くあるから。同時に、それを相方を含め、支えてくれる人々が多くいるわけで、自分に求められているのは、それを強い信念を持って遂行すること。
最近、心に決めたことがある。中途半端に盛岡に関わるよりは、自分をしっかり持って、まずは自分がここで為したいと思うことを成すこと。後ろに続く人たちが、自分もこうでありたいと思ってもらえるようなようなことを、まずは、自分が行うこと。作り出すこと。それが一番である。自分は、政を何ちゃらの人間ではない。ものづくりの人である。ものづくりに真摯であること。これが、すべてである。そして、それがすべての表現である。
多少無理しすぎだとか言われても、自分は己が東京だからできることに貪欲に挑もうと思う。少なくとも、実際に、わかりやすく東京っぽいところでいろいろやる予定なのだけども。この半年は。
とにかくも、結婚式を無事に挙げたお二人。お幸せに。あの花嫁の花婿の弄り方は、他人事には思えませんでした…。