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2006.02.01

盛岡ブランド宣言について

盛岡ブランド宣言というのが出された。ブランディングとか、CIを考えるのは、自分の分野に関わることなので気になる(というより、今年はそれが仕事としててんこ盛り)。もちろん、自分が生まれ育って、今は居として空けている街だ、気になる。

宣言自体に関しては、盛岡市のサイトをご覧になっていただくとして、斎藤純さんのBlogに反応を。

流れる雲を友に: 盛岡ブランド宣言

高橋克彦氏と赤坂憲雄氏の対談から印象に残ったことを記しておきます。

高橋克彦氏の「老舗は経済ばかりでなく、文化の担い手でもあった。老舗がどんどん姿を消していくのは惜しい。老舗を大切にしよう。老舗が持つ古い建物の維持などには税金で援助をしてもいいのでは。それを不公平というのはおかしい」というお話に大いに同感(実際、郊外に大型店が進出する際、道路整備に税金を投じている) 。

同感。たとえば、AEONが出来た際には道路整備を予算をかけて行ったわけである。
ここに、税金が投資されても良いのではないかと思う。また、古い建物を守るというのは、文化的な継承だけではなく、技術の保存にもつながる。建築に詳しい方は否を唱えるかもしれないが、今も残る建築物には、建築としての何かあるから残ってきているものが多いと思う。それを現存するものとして、それを学ぼうとする学生や建築関係者が直に研究できる場があるかどうかは、非常に大きい問題だと思う。

その一方で、建築物を守るのに、税金一辺倒の保存だけで良いのか?という疑問も感じる。税金が投入されたとしても、それは市民として間接的な、ブラックボックス的な行為であり、直接、この建築物の維持費に寄付できるというような、パブリックな制度を作ることも大事ではないだろうか。

高校時代から、堺の商人による自立した街づくりの考え方を盛岡でやるべきだと考えてきたのだが、「町衆」という概念をもう一度再考すべきではないだろうか。盛岡であると、たとえば山車というのがある。山車は、町衆(つまり、市民)の寄付で維持されている。京都の祇園祭なども、そうですね。盛岡は、どうも産業も、役所に頼った構造になっている。役所に好かれる人間にまとまった予算の仕事が流れる構図があるようでならない。ここは、町衆の力をもう一度考えるべきではないだろうか。


赤坂憲雄氏の「役所からの一方通行ではなく、市民と一緒にこれを進めてきたことは評価できる。が、八方美人で総花的。後は覚悟の問題だと思う」

これも、同感。すべてがそうではないと思うのだが、どうも、盛岡の大きな商店街というのは、殿様商売的な匂いがするような気がする。動きが遅いといいますか。フットワークが鈍いところが見受けられる。加えて、客本位では無い動きを見せているところがあるような気がする。ただし、これは自分が持つ全体への印象であり、これまでに大通り、肴町の商店街の方々には、大学時代からイベント等々でお世話になっているので、すべてを否定しているわけではない。

行政とのコミュニケーションというのは、不可欠であると思う。それは、一方的であってはいけないと思う。商店街、消費者(市民)、行政の3者が、双方向のコミュニケーションを図っていかなければならない。お互いの方から、一方的なコミュニケーションで困るという声を聞くが、「覚悟」というのは、活性化、発展を目指す目標を、両者が共有しコミュニケーションをとっていくことではないだろうか。すべては、あなた方ものではない。われわれのものではない。ある意味、授かりものであると考えて、共有財としての街をどう活かしていくか、発展させていくかを、危機感を持って取り組むべきなのだと思う。


関連して克彦氏から「岩手の民放局に一考を要したい。テレビをつければ、パチンコ屋のCMばかりだ。地元の小さな企業や老舗には安い料金を設定するなど優遇してはどうか」と苦言と提言があった。

確かに。といっても、これは盛岡の産業構造および人々の余暇の過ごし方の現われだろう。パチンコ産業が悪いとはいわないが、休日はパチンコ漬けという方々がなんと多いことか。そうなれば、必然的に、CMが増えるわけではある。しかしながら、パチンコのCMを見て思うのが、あの創造性の無さは何?と思うことである。


最後に、結局、このブランド宣言を見ても、過去の財産をどう活用していこうかという話に終始していると思う。本質的に重要なのは、こういった財産に価値を見出し、それを創造の素にしていく「つくり手」と「受け手」の教育が必要ではないだろうか。自分は盛岡・岩手については、第二の「宮澤賢治」を生み出すような郷土をつくっていかなければならないのだと思う。彼は、作家としても素晴らしかったが、グランドデザイナとしても優秀な人だと思う。逆に言うと、そういった思想を物語というところに落とし込み、人々に伝えるという、今多くのデザイナが抱えている問題を実現している人でもある。だからこそ、多くのクリエイターから愛されているのかもしれない。

自分は、「ものをつくる」に生き、生かされている人間だと思っている。この分野に関しては、自分が責任を感じて、何か盛岡・岩手で起こさなければと思っている。これに、きっと共感してくださる友人たちが数多くいることを信じての発言なのであるが、皆様、よろしくお願いします。自分は、本当に焦燥しているし、危機感を感じている。何か、機会を逸しているような気がしてやまない。


最後に、ブランド宣言のBlogが立ち上がったらしいが、gooのBlogサービスで良いんですか?ちゃんと、ドメインを取ろうよ、ちゃんとサイトをつくろうよ、と思うのは自分だけだろうか。そこから、ブランディングのセンスが見えてくる。

いずれにせよ、この取り組みは面白いと思う。先日、テレビ東京のWBSで、地方ブランド紹介でも、南部鉄器、前沢牛、南部せんべいが紹介されていた。それだけではなく、盛岡・岩手には未来に向かって投射できる財産が数多くある。それを見出し、それをより良いものにしていくのが、僕らの使命だと思う。そういう動きが、日本全国、世界全体でうごめいたときに、面白い世の中になるのだと思う。