実は
元Cymbalsの土岐麻子がソロデビューしたいた。
朝のニュースのテーマソングになっていて、早速反応してしまった。
大地を守る会にお邪魔して、新企画とお米のお話を伺う。お米のお話は、12月に佐藤卓さんたちと行う展示会に向けてのお勉強会的に伺ってきた。
お米の話、とても興味深かった。何だろう、トレースする感覚、そういったのを感じた。お米という絵巻を拝見して、お米が持つ文化的な大きな背景を知ることができた。
日本人が米を食べなくなって、健康問題だ、農家が困るだとか、そういった話がよくされるが、そういった表層的な問題だけではないのが、実は米の話である。ここですべてを語るのは、野暮なので、ポイントをメモしていくと、水田というのがとても機能的な環境装置であるということ、農耕というのがもたらす日本人の精神文化さらには芸術文化などなど。とても米一粒からでは思いつかない、ミクロでマクロなお話に広がっていく。
面白い流れとしては、現在有機農法の世界でのトレンドは、水田における生命性の豊かさなのだとか。JASマークなどがついているよりは、そのお米が取れた水田にどれぐらいの生命が存在するかの方が重要なのだという。虫も食べる野菜はうまい、というがまさしくその通りで、無視も生存できない環境で育てられた米が、果たして人にとっていいのか?それは、簡単な答えである。農薬を使わないのは当たり前で、その水田にどれぐらいの生物を育成できるかが技術なのだそうだ。まるで、小学校の飼育係のようだが、絶滅危惧種の生物が良い水田には戻ってくるそうだ。
今日は、福島の生産者の方がお見えで、楽しくも、知的なお話を伺う。とても失礼なことを申すが、農家などというのは低い職業だという感覚がなんとなく世の中にあるような気がする。それは全くの誤解であり、高度経済成長期にインテリが作った誤った思想だ。農家ほど、センシティブで芸術的で、そして知的な職業はないと思う。福島の生産者の方から、分子の話が出てきたりして、高校時代の科学の時間を思い出した(村木先生の顔もセットで)。
水田を含めた日本の治水システムというのは、歴史の中で築かれてきた素晴らしい環境デザインである。デザイナーとして、その先人たちの功績を、ただ傍観するだけであった。しかしながら、今一度、自分たちの視点で見つめなおすためのお手伝いを、上で書いた展示会を行うプロジェクトで実践していきたいと、改めて誓う。
先日のクリカフェ以来、自分のところに様々なご相談をいただいている。こういうのを提案できないか?とか、こういう人いない?とかとか。すべての期待に応えられているかというと、自信は持てないが、いくつかクリカフェのプロジェクトとして進めることができるのではないかという企画が出始めている。
手始めに、始めたいなと思っているのが、盛岡・岩手のデザインガイド的なサイト。最近、見かけるあの商品、広告、雑誌っていいよねとか、隠れた工芸的なデザイン製品だとか、そういうのを盛岡・岩手つながりという視点で紹介できないかと思っている。みんなからの広い投稿を受け付けつつ、編集委員的な数人でコンテンツを整備できればなと、妄想。どすか、そういうの?
自分自身、クリカフェの存在意義の大きさを強く感じている。一旦は、後輩たちに引き継ぎますということになり、その後、それがうまくいかず、多くの方々にご心配をかけたのだけど、再び自分で主宰を始めて、みなさんからの期待と反応に責任を感じている。同時に、クリカフェの未来を感じている。自分自身の考えとしては、来年度に、タイミングが合えば、NPOの法人格を取りたい。対外的にも、きちんとした組織として活動できるようにしていきたい。そして、盛岡・岩手のデザイン・クリエイティブ界の一助になればと思う。さらには、盛岡・岩手が持つ文化的資産をリデザインし、世界に届けたい。
と、書いていますが、今日も徹夜明け。あぁ。