ふらふらで
今日は、シャツにジャケットと普段よりは、しまった格好で、打ち合わせに。世の中、おもしろいものを作っている方がおります。話を聞いているだけでも、勉強になる。
9月末の旅の準備を進める。予約関係は完了。ということで、わたくし旅に出まして、その後クリカフェという感じになりそうです。
プライベートワークのUIを悩み続ける。動きから現われてくる形というのがある。最近、そう思っている。動きといいますか、流れから生まれてくる形。もしかすると、形というのは連続性の中にある形であり、その一瞬を切り取るのが静的なグラフィックなのかもしれない。
と、考えると、コミュニケーションの場にあるものをデザインするというのも、一つの流れ、またはさまざまな流れが注ぎ込まれる場において、姿を現すもの、たとえば水の流れによって長い年月によって削りだされる石の形状だとか、それは、結果的にであるかもしれないが、その場にふさわしい形状としてあるわけである。デザイナというのは、その形を早回しの中でかもしれないが、見つけ出すということをしなければならないのかもしれない。ミクロ的に、この形であるべきだという、一種の内省的な概念から、マクロ的な視点での周囲との協調関係における形というのを探っていくべきなのかもしれない。
その協調というときに、インターネットを習った自分とすると、ルーティングなどの話になってくる。自己の周りや隣との関係から自分のあり方を思考していく。やはりそこには、形にはビヘイビア、アルゴリズムを持たせるのが必然であるのかもしれない。
そんなことを考えていると、Photoshopでデザインするというよりは、AfterEffectsでも平面的なデザインを起こすというような手法もあるのかもしれないし、古くはメガデモのような記述方法でデザインを起こしていくというのも、あるかもしれない。
一ついえることは、構造的に捉えた形でのプログラミングができるデザイナが、これから増えていき、そういったときにさまざまな分野において、いろいろな変革が起きてくるのではないかと思う。たとえば、建築から家電、ファニチャーといった一体化が求められるものの中でデザイン的なAPIが生まれてくるとか。オブジェクト指向的な考え方とパタンデザイン的な考え方、その融合。探る必要があるな。
と、真面目なことを書きましたが、草野ランドは、おもろかったです。